2004年12月アーカイブ

引用長くてすまん。紹介なので内容は無い。

 「生きる気力が乏しい」とか「人生に希望を失い」とか「自分はとても価値の低い人間なので」とか。よく、就職相談とかで「自分がやりたいことが見つかりません」という話をされるのと何となくダブる。個人的には、希望格差という、ある種の「したいこと」と「できること」の落差、つまり「したいこと」は明確にイメージできるが「できること」のレベルはいきなり上がらない、だから仕事をしながらその成長の経過のなかで喜びを感じ自分の成功体験という形で社会化していくというプロセスを踏むのが通常で、しかし「できること」の成長の経緯までに「選ばれない」「認めてもらえない」というハードルを超えられない大多数の人の何割かが引きこもるのだと思っていた。
 が、どうも一連のTBや貰う相談メールではたいてい「したいこと」が明確でない、さらに「できない自分」が曖昧な目標に向かって歩き出すことも放棄しているという現象にぶち当たる。どうなのだろう。何が問題になっているのかさえ分からない。希望格差というよりは、機会格差というほうが正しいのだろうか?

とんでもなくピンときたですよ。今自分と関わる全ての人に読んで欲しいと思ったのでクリップ。
機会格差は確実にあるけど、自分の力でどうしようもない機会はそのうち数十%だと思ってる。羨ましがってるうちはだめだという持論を再認識した気分。
今度じっくり書こう。

R30::マーケティング社会時評: 保守エリートのPCコードに騙されてはいけない
とりあえずクリップ。典型的な相手への矛盾した要求の押し付け(当然自分にとっては矛盾して都合が良くなっている)の話題から、派生する話題まで、コメントも有意義と思います。
物理的/精神的に追い詰められても、さまざまな不安からその人以外の選択肢が考えられないというのは、まぁ当たり前の感情で、親子が典型。少しずつ依存度を高めていった結果、と思う。

切込隊長BLOG(ブログ) ~俺様キングダム: サイバー保守主義? より。
はてなグループ - ised@glocom - ised議事録
面白い。てか、思想用語多すぎてすげー読み取りにくい議論ではありますが。
興味深いのは、はてなグループを用いている点と、啓蒙→運動に進行するにあたっては、問題点がぼやけるほどまでに話を圧縮せざるを得ないという問題、そして携帯などが「繋がっていることを確認するだけの(やり取りされる情報自体の価値が低い)メタネットワーク」化しているという点など。
最後のは、そのとおりだけどならばリアルワールドにおける公園/商店街談義などはそうではないのだろうか?と。繋がりたい欲求/繋がっていないと不安になる感情は昔から普遍的にあったのだろうなぁ、と、思った。だから、少なくとも特に悪い方向に向かっているわけでもないかもね。

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