Iwatamの何でもコラム
まだ数個しか読めてないですが、大変興味深い文章群です。
「同意」という意味ではないですが、本当に興味を惹かれる。時間をかけてゆっくり読み進めたいページです。
humanの最近のブログ記事
EXPLORE MONOGAMY BLOG
void 氏に関するお話。綺麗にまとまった鋭い分析だと思いました。こういったことを何とかムラ社会にも理解(寛容ではない)してもらいたいものだけど…。
最近もムラ社会的排斥(魔女狩りとも言われる)を目の当たりにしたしね…。
圏外からのひとこと(2005-07-15)より。
L'eclat des jours(2005-07-15)
ふふふ。という感じでいいですねぇ。重要なのは政治家と牧師の存在。単に技術者のヒーロー話と受け取らないように思考を磨かねばですね。
(追記)こちらも重要です。
otsuneの日記(吉祥寺のホルモンが美味い - 善意の人が自分が善であることを根拠にするのは危険だよより。
Gairon2003-body
読む暇無い-_-。クリップ。
そのメールが相手の怒りを招く : IT Pro 記者の眼
これは解っていてもすぐに忘れる重要な観点…。
特に技術者とかいわゆるインターネットリテラシーに長けた人ほど、物事を慎重に見るがゆえ、否定的文章になりがちなので気をつけないとと思う。
しんぞうのおんな:100%の健康って?
元記事はこちらです。
山伏クレムリン:「うつ」の話
風邪薬(解熱剤)にせよ、過剰投与はぼちぼち問題視されたりしますが、それはまぁ別問題として。
当人にとっての正常でいいじゃないか、というのはよく分かるし多くの人に読んで欲しいと思ったのでクリップなわけですが、
>でもこの社会は そんなの許してくれない。
まさしく、許してあげたくてもできないのが現状なのだと思います。許さないわけではなく。自然社会でも同じですからねぇ。ほっとくと淘汰です。
つまり、インプットが同じ(親がヤクザとか貧乏だとかマイナスのインプットでも、親が知性が高く、裕福であるというプラスのインプット)でも、本人次第でアウトプット(本人の進学や職業→一生)は変わるということだ。 ようやく結論だ。教育というのは、この「インプットがプラス材料であれマイナス材料であれ、その結果のアウトプットをできるだけプラスの方向へ持って行ける体質・考え方を、本人の身につけさせる」ことだと思う。
「幸せとは何か」とも関連するかな。 幸せを感じることにおいても、自分が伸びることにおいても、現在までの自分の立場や環境は関係ない。 実は異論もあるのですが、上記記事、多くの方にじっくり読んで欲しいです。 ちなみに異論とは例えば、「この考え方からいくと、御本人も述べられている通り、打算的な教育者であっても構わないのではないか」とか^^;。まぁ自分もあやかパパさんも言いたいことは、かっこ悪い教育者を見据えた上で、かっこいい師を見極めろってなことになると思うです。そして、かっこいい師が0の現場だと、いくら本人の意識が優れていてもさすがに遠回りだから、少しはかっこいい人に増えて欲しいよねぇ、といったところでしょうか。
引用長くてすまん。紹介なので内容は無い。
「生きる気力が乏しい」とか「人生に希望を失い」とか「自分はとても価値の低い人間なので」とか。よく、就職相談とかで「自分がやりたいことが見つかりません」という話をされるのと何となくダブる。個人的には、希望格差という、ある種の「したいこと」と「できること」の落差、つまり「したいこと」は明確にイメージできるが「できること」のレベルはいきなり上がらない、だから仕事をしながらその成長の経過のなかで喜びを感じ自分の成功体験という形で社会化していくというプロセスを踏むのが通常で、しかし「できること」の成長の経緯までに「選ばれない」「認めてもらえない」というハードルを超えられない大多数の人の何割かが引きこもるのだと思っていた。
が、どうも一連のTBや貰う相談メールではたいてい「したいこと」が明確でない、さらに「できない自分」が曖昧な目標に向かって歩き出すことも放棄しているという現象にぶち当たる。どうなのだろう。何が問題になっているのかさえ分からない。希望格差というよりは、機会格差というほうが正しいのだろうか?
とんでもなくピンときたですよ。今自分と関わる全ての人に読んで欲しいと思ったのでクリップ。
機会格差は確実にあるけど、自分の力でどうしようもない機会はそのうち数十%だと思ってる。羨ましがってるうちはだめだという持論を再認識した気分。
今度じっくり書こう。
切込隊長BLOG(ブログ) ~俺様キングダム: サイバー保守主義? より。
はてなグループ - ised@glocom - ised議事録
面白い。てか、思想用語多すぎてすげー読み取りにくい議論ではありますが。
興味深いのは、はてなグループを用いている点と、啓蒙→運動に進行するにあたっては、問題点がぼやけるほどまでに話を圧縮せざるを得ないという問題、そして携帯などが「繋がっていることを確認するだけの(やり取りされる情報自体の価値が低い)メタネットワーク」化しているという点など。
最後のは、そのとおりだけどならばリアルワールドにおける公園/商店街談義などはそうではないのだろうか?と。繋がりたい欲求/繋がっていないと不安になる感情は昔から普遍的にあったのだろうなぁ、と、思った。だから、少なくとも特に悪い方向に向かっているわけでもないかもね。
