ツッコマビリティ(或いはツッコミビリティ)についてはこちらとそのリンク先^^;。
元記事はこちらです。
『blog は議論に向かない』ではなくて
私にとって『blog は議論に向かない』が正しい記述
うーむ。違いますねぇ。
元記事では自分の「こうしたい」という思いは書いてないですから。
単に(不十分な観測対象からだけど)観測したこと/印象を元に分析を試みたに過ぎないですし。
「閲覧者は(MLなどの場合と比較すればいくらかは)大変だろうな」という点は私の想像でしかないですが。
と、自分の記事を読み返さずに書くことでさらにツッコマビリティを残してみる^^;。
[めブログ-虚勢と知ったかぶりの夕べ: ネットに議論の応酬なんかいらない]
単に読者の立場から見ると、言葉の小さいブロックがやりとりされる形での、議論の応酬というのはあまりおもしろくないのです。
こちらは、趣向としては解ります。私は割とそういうのも見るのが好きですが^^;。
人がどういう部分に反応/固執するのか?とか考えるのも興味深いと思っていたりしますし。
ただ、私は先に書いたような「水掛け論」のようなものは「議論」とは思っていないです。
そういう意味で、上記で言われている「議論の応酬」と私が考えようとしている「議論」は違うものではないかと思います。ML や掲示板で水掛け論が多くなる、というのは参加者の質にもよって往々にしてあることですが、それは別の問題と思っていますし。
あぁ…そうか、「議論」って「互い(或いは多くの人)の考えを述べあって、さまざまな見識があることを知る」というのと「問題の解決を目指して提案/評価を重ねていく」という二つがあって、blog で向いていないと思われるのは後者で、前記事ではその前提に触れていなかったあたりが「ツッコマビリティ」でしょうか^^;。
前者についても、今のシステムだと集約するのにコストがかかるだろうな、とも思いますけれど。
だからといってその点を改善したい、と強く思っているわけではないです。Tiger さんもおっしゃるように、より向いている「場」を使えばいいだけですから。ただ、楽して改善できるようであればその可能性は模索してもいいかなという程度で。
blog のシステム上だからこそ議論(意見交換)が有意義な方向に向かい易い面もある、というのはずっと興味深いと思っているわけですが、今回ネタにしたのは、この形態だと「全ての意見をトレースするのは難しい(だろうか?)」ということと「新しい記事に埋もれて忘れられて行きやすい」というあたりです。
で、何度もどこかで議論されているはずだけどちゃんと調べずに書いてるあたりもツッコマビリティを残してるなぁ、と思ってます。
誰かが過去の議論の結果を教えてくれるかもとかも思ったり^^;。
そういうことをするのも、「blog はオーナーが書きたいことを書けばよい」と考えているからにほかなりません。
これは blog に限らないと思いますが、この手のシステム自体に関する議論は、一定の結論が出ないまま収束していくように見えて、実は各自なりの結論で何らかの改善策をこうじて公開する、ということが後になって行われ、その結果、良いものは受け入れられて普及し、良くないものは淘汰される、ということが自然と起こるので、「議論で一定の結論が出ないから問題」という訳でもないあたりがまた興味深いと思ったりもするわけです^^;。




