2004年7月アーカイブ

Gypsy Blood「愛すべき場所は二つ」/松永的愛国心論まとめ編 [絵文録ことのは]

あんまり深くは入り込めませんが_o_。私は上記記事で述べられている点について松永さんにかなり近い思想ですので、ほとんどの部分に共感します。
「愛国」「誇り」の例として「オリンピックで日本人が好成績をあげたら嬉しく感じる」といった例が出されていますが、それってもう少しだけ厳密に言えば、「自身に近い文化で(進化してきた/)育った人がそれだけのことができたのだ(だから自分も励まされる)」という共感が根本にありますよねぇ。私も「あぁ、頑張ったんだなぁ、すごいなぁ」と思っても、「俺はこのオリンピックで好成績をあげた人の所属であるところの日本人なんだぞ、すごいだろ」とは言いたくないクチです。まぁそれを言うことは一般的に「誇り」かもしれませんが、私には「虎の威を借りる~」にしか見えませんし。あ、もちろんその人がすごいとは言うでしょうけれど。

「国」と「国家」の区別という話題がありました。「国」が愛国の対象ということでしょうけれど、それがまさしく上に挙げた、同じ文化圏で進化/生活してきた人の集合を指しているのだろう、と。

私的には「(日本人としての)誇り」を持つとするならば、「自分の行為によって日本人の品位を落とさないようにしよう」「どうせなら、日本人ってすごい人がいるのね、と思わせる中の一人になろう」「あぁこの人は日本の誇りだ、自分も頑張ろう」といった考え方でいいじゃないかと思ってます。で、それが強制されなければならないとは思わない。松永さんは一番目について触れていらっしゃいますし、私も「日本」にこだわりはなくとも似たような主張はしょっちゅうしていますが、ぜんぜん強要はしないです。

あと、(私が近いと感じている)松永さんの考え方が、一般的とは言えなくとも「日本的」と称されていたことに誇りを感じたり^^;;。「愛国心」が悪いなんて毛頭思いませんが、愛国心が身内をより愛せよといったものであるとするなら、愛国心と差別は本当に紙一重と思います。で、松永さんは単にレッテル/差別は止めようよ、と言っているに過ぎないと最初の記事の段階で思ったわけですけどねぇ。レッテル/差別に該当しない人を批判しているわけではないという点についてかなり注意深く書かれていると思いましたし。

ss さんのコメントより。

無論、「日本人的」なものには良くない部分、悪い部分もたくさんあります。それを受け入れた上で良い部分を良いと思えること、その下地を持つ文化を享受できることを感謝する、それを「愛国心」と呼ぶのは間違っている、あるいは恥ずかしいことなのでしょうか?

よい部分については(当然よいと思っていて)単に触れていらっしゃらないだけですね。自国民の悪い部分をよくないんじゃないか?と指摘することは「愛情」ではないでしょうか?自国民も他国民も無いと思うので愛国心とは書かないですけど。あと、愛情だから常に善とも思わないですけど。
まぁ、そういった自虐をなんとも思わないところは(他の文化と比較すると)日本的なのだそうですが^^;;。

週刊!木村剛: 改革を成就するモノは何か?:ケーキとネギの関係
私的にはあらゆるプロジェクトにおいて押さえておくべき勘所がすばらしくまとまった文章に見えます。当然、ボランティアプロジェクトであればなおさら。
私は、

意欲/能力ある人ほどたくさんのコミュニティの主要メンバーになってしまって、その時点でもっともモチベーションが注がれた数個以外についてはおろそかになっていくものですね。

こういう状況があるため、現在はボランティアプロジェクトに関わることには慎重ですが、興味深いものは山ほどありますねぇ~。あ、CVS くらいは提供してもいいかな。

について連想してしまう。
はてなダイアリー - 高木浩光@茨城県つくば市 の日記: NETWORLD+INTEROPのRFID実験で見た虚偽表示

捺印という作業がなぜ必要かが分からない人が提案してるんですかねぇ。RFID によって「かざすだけ、近づくだけである手続きが完了します」と言っているのは、ある適用領域においては「このはんこは近くを通るだけで捺印できます」と言っているようなものにもなり得るわけで。
まぁこれはプライバシーという側面とは違うか^^;。

元のテーマに沿うと、「手渡ししなくても/バーコードリーダの前に提示しなくても名刺を渡せます」ですか。
印鑑と同じことで、なぜ名刺が未だに紙の形態が主流なのか、ちゃんと検討されたのか怪しいですねぇ。

イベントでの意図は「ICタグの信頼性を検証する。」だそうですので、本当に信頼性の検証だけならいいんですが、「メディアライブ・ジャパンでは、来場者の動線分析のほか、名刺交換や資料請求にICタグを利用するといったアプリケーションも想定しており、実験の結果次第では、来年のN+Iではバーコードをやめ、ICタグのみで入場管理を行う可能性もあるという。」って…。

そいえば電子名刺について、ゆるゆるですがちらっと考えたことがあったなぁ。プライバシーのコントロールができることが必須要件の一つと思うわけですが。

入場管理に使うだけなら個人情報との紐付けが不要なので、ID によるトラッキング問題以外は発生しないので、イベント会場内での閉じた利用なら大きな問題にならなさそうな気はしますが…。
(追記)タイトル typo のまま trackback 飛んじった-_-。激恥…。

最近は、議論の当事者が匿名で持論を擁護するいわゆる自作自演が当たり前のように使われているようです。
2ch などでは昔からジサクジエンを指摘する人が多数いますが、私などはずっと穿った見方をしすぎでしょう、と思っていたものでした。
しかし最近は自作自演の証明されるケース、或いはどう考えても当事者が書いたとしか思えない書き込みもよく見つかり、浅はかな自作自演だなぁと思う以上に、何でそんなに簡単にそんなことするんだろう?と思うのでした。

特に、別の場で議論が起こっているときに、それを傍観している 2ch 等の場で当事者が匿名で自身を擁護或いは相手を批判する行為は最悪に卑怯だろ?と思うわけです。

世論を誘導したいという思いが強いのでしょうか。しかし、当事者として説得力があれば自作自演の必要性はないはずなのにそれをしてしまうというのは、結局自分の意見が受け入れられない結果の苦し紛れでしかありません。卑怯な上に見苦しいですね。

2ch のような場所では、自身を叩く輩も自作自演を駆使して多数から叩かれているかのように見せかけたりするので、それに対抗しているのだ、という反論が考えられますが、議論はいくら正当な主張であってもより誠実さが欠けたほうが負けです(まぁ勝ち負けでもないですがどちらの意見が受け入れられるかという意味において)。

2ch で偏った中傷で叩かれることがあっても、自分がまともに対峙していれば、相手は自滅して行きます。自分が自作自演などの手段を使い出したら同じ穴のムジナです。2ch 以外で(2ch 内でもですが)得られかけていた信頼を全て失うでしょう。

関連:技術系サラリーマンの交差点: ただの匿名よりずっと不気味な匿名
当事者でなくても、直接その人を知っている人が匿名で当人にコンタクトを取るケース。
関連:かざきり羽言及サイト一斉閉鎖問題何が目的か
まさしくどっちもどっち状態となって破綻した例。
まともにいわゆる検証サイトとして事実の検証だけを行っていた人もいたはずですが、見事に味方が敵となったようです。

此処録: ひとこと: オメデトジブン
より。

ねぇ、昔の僕よ。


今の僕は、アリ、だよね?

それまでにそれなりに必死に生きてきたからこそ言える言葉ですねぇ。

今現在に充実を感じていない人だと、昔どうなりたいと思っていたかを思い出したくもないかもしれません。
私の場合、子供の頃は技能優先主義的思想で、今のように人間について考えることがほとんどなかった人なので、

ねぇ、昔の僕よ。

今の僕の方が良いでしょう?

と、さらに自信過剰に言ってみたり^^;。
でも、技能的側面にせよ人間的側面にせよ、実は充実しているわけではなくて、不足を感じることの方が多い。それでも、何について努力すべきかという方向性では間違ってはいないようで、それが何とか自身の幸福感につながっているようです。

そのようなわけで、お誕生日おめでとうございますぅ。自分語りばかりでぜんぜん祝えておりませんが^^;。_o_

なんでも「リセットできる」、そんな「使い捨てされる人間関係」が主流となった時、コミュニティや社会がどう変わっていくのか、それとも、やはり、所属するコミュニティが社会の中心であり続けるのか。。。

所属するコミュニティは永遠に無くならず、そしてそれはいつになっても「リセットできる関係」よりも優先されるので、社会の中心はともかく、少なくとも個人の中心は所属するコミュニティであり続けるんでしょうねぇ。 しかし最近の問題としては、ひどいケースでは所属するコミュニティよりリセット可能なコミュニティを優先する個人が現れ始めてる、ということですか。ひきこもり系の一部など。でもそのような人は、リセット可能な関係のはずの物がリセット不可能になってしまっている。そこから排斥されると心のよりどころがなくなるかのような。

つまり、個人にとっての主流はいつまでたっても「リセットできない関係」なのかなぁ、とか^^;。で、物理的なリセット可能性は、個人の心のうちにあるリセット可能性と一致しない、と。それじゃだめなんだけど。

「社会の中心」の方はというと、確かに一時の関係、と割り切ったほうがよいと考える人は増えつつある気はしますねぇ。Unforgettable Days さんはコミュニティに限定していらっしゃるので、ここで書いたことはずれる話題ではありますが、集団でなく一対一の関係、というか、ある相手に自分のリアルのアイデンティティを伝えるか否か、という点ではかなり保守的になってきている。プライバシーが騒がれることはそれを助長する結果となっている。
文脈が少々違いますが、以前、

身元が割れる立場でコメントを付ける事には抵抗がある人もいるかもしれません。繋がってしまうという抵抗が。

こう書いたことがあらゆる人間関係において拡大しつつあるかもとかも思ったりします。それでも人間はそういう関係だけでは生きていけないのですが。これは社会的に、ではなく心理的に。

こっちに書くかちょっと迷いましたが、ココログベーシックで個別記事画面からその記事の編集画面にジャンプできるリンクを、ふと作ってみました。

今週のブログ更新 : kojidoiのチャンネル -北国tv
経由で
kojidoiの別宅: 続・北国との比較 まだまだ良く分からんです
を見まして、そういえばやってる人いなかったっけか?と思いつつ^^;。

以下を自分の blog 上のどこか目立たない所(サイドバーの下のほうとか)に貼り付ければ、個別記事画面を開いている時にクリックすることで、その記事の編集画面にいけます。

<a href="#" onclick="window.open('https://app.cocolog-nifty.com/t/app/weblog/post?__mode=edit_entry&blog_id=あなたのブログのID&id='+document.comments_form.entry_id.value)">編集(管理者用)</a>

「あなたのブログのID」には、ココログのブログ編集画面の URL を見て blog_id= となっている所の数字を書いてください。
なお、上記は IE で確認しています。他のブラウザで動作しなかった方は、document.comments_form.entry_id.value のところをちらっと書き替えていただけば。調べるの面倒なので_o_。どうせオーナーにとってしか意味のないリンクですのでオーナーだけが動作すればいいんです^^;。


ちなみに MovableType ではテンプレートに以下のように書けばよいです。これはココログプロでも使え、ココログプロの方ならこちらの方が汎用的かと思います。

<a href="<$MTCGIPath$>mt.cgi?__mode=view&_type=entry&id=<$MTEntryID$>&blog_id=<$MTBlogID$>">EDIT(for owner)</a>

(追記)ココログプロは飛び先が違うんだった。こうですかね(たぶん)。

<a href="'https://app.cocolog-nifty.com/t/app/weblog/post?__mode=edit_entry&blog_id=<$MTBlogID$>&id=<$MTEntryID$>">EDIT(for owner)</a>

(追記)
このリンクの動作条件として、ログインしていること、コメントフォームの存在する個別ページ上からクリックすること、というのがあります。明記しておらず失礼しました_o_。2番目のトラックバックにある「右クリックで編集画面を」も参考にしていただけばと思います。
ログインしていない場合はログイン画面になって、ログイン後に編集画面に行くのかと思ってましたが、ココログの場合はそうでもない、のかな?確かめてない^^;;。
あと、トラックバックの重複は削除しました。

このページのように、メモ的 blog をサイドバーに埋めこむ方法について書き残しておきます。 ココログの旧ページを見ると解りますが、ココログ(プロ)でもできます。(ココログベーシックだとミニブログ自体は作れませんが、リンク先の例のようにココログ外でミニブログを作って埋めこむことはできます)

はぁ…ここにも書いたけどやっぱり他の方の記事を引っ張ってきてちろっと書くのは楽だわ^^;。blog 続け辛いと思ったときは、休むのもいいですがそういう活動で気楽にちょっとした意見表明するのもいいと思います。
(追記)それをするには AutoAnchor がお薦めです。

自分の言いたいことを理路整然と作り上げて記事にする人は尊敬~。なんて言ってもそれを厳密に実践している人は本当に少ないですが。というか他からの影響を受けないで湧き出てきた論なんて全体の何パーセントだか。ほとんど(というかおそらく全て)の論は何らかの情報ソースに依存するんだし。で、当然ソースの貴重さや、そこに乗せる持論の貴重さなどが価値になるわけですが。

何が言いたいかというと、仮に持論自体の価値が同程度だった(持論の無い場合が典型か^^;)場合、結びつけられたソースの価値がその記事全体の価値に影響すると思われるんですが(※)、「ネットで見つけたもの」にコメントするのと「リアルで見つけたもの」にコメントすることの価値の差は永遠に縮まらない壁はあれど、だんだん減っていくだろうなぁ、ってこと。

今は貴重な体験に基づいて話すことは貴重だし、ネットで見つけた情報は永遠にその域には達しないでしょうけれど、ネットで情報を見つけることの難易度も、「リアル体験」に近いものになっていくかも、と。

まぁ思い付いただけだけど。少なくとも、ネット上で貴重な情報を見つけたりする人の価値は今後もっと上がっていきますよ。全員がそれをしちゃうとこうなっちゃうわけですが^^;。
はてなダイアリー - 恐がり - 模倣犯:陰謀史観的ブログ観測

向いてる人と向いてない人がいるだろうなぁ…。でも「向いてる」というより自分が楽しいかが全てなわけだけど。そして両方に向いてる人も(得てして)多かったり^^;。創作できる人すらも無意識に「clip が楽しい」と感じるような環境になっているのだとしたら、それもまた、多様性のもたらす罪の一つになるわけですが…。

※持論が無い場合、「他人の記事の価値で自分の記事の価値が決まる」わけですが、それが鼻持ちならないという方も少なからずいらっしゃるようで。「紹介」の価値はありませんか?そうですか…。ってのは冗談ですが、既に見た記事の紹介が溢れるのはその人にとっては「ノイズ」ではありますが、全体からすればそんなことはないです。はっ!!そういうフィルタを作ればいいんじゃないか…。

 (1) 浴びている情報量が圧倒的に多い  (2) マルチタスキングが当たり前である  (3) 情報を人と同時にあるいは人よりも早く得ることに強いモチベーションがある  「リンクonlyブログ群」も、似た特徴を持っているように見える。

似た特徴はありますが、その特徴(3)は個人ニュースサイトというよりも、それを好んで見に来る人達にあると思うです。 個人ニュースサイトの方達は、自身が、というよりそれを見に来る人達のためにボランティア的にやっていらっしゃると思います。つまり、比較的多くの方のモチベーションは「多くの閲覧者を確保したい」という方に向いていると思っています。

(1)(2)は世代に関係なく、時代としてそうだと思いますが^^;。そして、(1)(2)があるから個人ニュースサイトという文化(需要というべきか)が出来上がってきた、と。
(3)は、その傾向が本当にあるのかどうか私にはわからないです。いや、あるのは確かなのですが、それは今に始まったことではないというだけのことではないかという気がしてならないわけですが。

ここまでは分析、以下は主観。

私は個人ニュースサイトのようなものは非常に重要であると思っています。まさしく(1)(2)な世の中、こういう方たちがいないと時間が不足しまくりですし。

私のところの記事もいくつか紹介していただけたことがありますが、紹介いただけたということ自体が純粋に嬉しかったですし、それによってとにかく様々な目が流入したことも嬉しかったです。

しかしもちろん違和感のようなものも感じます。自分の思惑とは異なる記事だけにアクセスが集中することや、見にこられた方の反応が、自分の意図どころか紹介された方の紹介意図とも異なっているようなケースです。後者については、元の情報が「タイトルとリンクとそのニュースサイトの性格だけ」ということが見に来てくださる方の印象にそこはかとなく影響しているかもしれませんね^^;。まぁでも、読まれ方については受け入れるしかありませんです。

別の話ですが、個人ニュースサイトを提供している人も(1)(2)には悩まされているわけで、これを改善することは急務と思っていたりするわけです。

とりあえず、

 正直に言うと、他サイトへのリンクだけ並べるブログを書いていくのがなぜ面白いのか、私にはよくわからない。(すみません。)

については、「閲覧者の役に立つ/閲覧者が楽しめるネタを提供すること」が面白いのですっ、とお答えしますです^^;。自分も「うなずき系」を目指しておいらクリップを始めたわけで。まぁこれは自分のためという側面が強いので旬は無視してますけど。

単純に、スポンサー周りが色濃く反映するタイプのサイトはインタラクティブ性を持たせることに難色を示される。叩かれたり煽られたりすると製品イメージが悪くなって広告効果どころではないからだ。一方で、ネット媒体というものはインタラクティブ性がないと面白くも何ともないのだから、どうも相性が悪いのかも知れない。ラジオの方面とかならBLOGあんのかなと思って調べたが、コミュニティメディアへ脱皮を図ろうとしているラジオでさえあまりBLOGは使われていないらしい。

そうでしょうねぇ。

木村剛さんのようにインタラクティブ性を自分にとってプラスに働かせるのはめちゃくちゃ難しいしめんどくさいし、リスクは目立つのに効果はそこまででもないんだから。新規参入はまだまだですね。木村さんが blog 広告塔(有名人 blog の真の成功例)になり、例のポジティブキャンペーンが業界を触発できれば可能性があがるかもですけど。木村さんのうまさは読者の反応のピックアップの仕方にあると思うんですが、あれを真似できる人は少ないだろうなぁ…。

だいたい、広告にインタラクティブ性がただ存在するだけで面白くなるわけでも無いので、インタラクティブ性があってこそといえる面白いコンテンツをある程度継続的に出さないとブレイクしないわけで。blog で毎日写真とかその日したことだけ載せてても、インタラクティブ性は広告主の期待ほどは活かせませんねぇ。そもそもそれだと書き手側のモチベーションも続きにくいし。エンドユーザ(閲覧者)が今の20-100倍くらいに増えて、ちょっと書くだけでも目に見えて広告効果が出るようになるなら、飽きっぽい人でも仕事として割り切ってできるかもですが、閲覧者の増加と同程度の比率で注目に値する書き手も増えるのだとしたら、結局自分が本当に見る価値ある情報を出していない限りは、自分のところを見続けてくれるユーザ数はそれほど増えないだろうと思うし。
下手にゴーストライター使って特徴的なことを書いてしまうと、テレビなどでの振る舞いとのギャップが目立つし。

参入した当人の知名度/イメージ向上にはそれほど貢献しなかったかもしれませんが、blog の知名度向上には役立ちましたね~^^;。近いうちに blog を閲覧/活用する層がもっともっと拡大して、その上で考えられているリスクがそれほどではないと思われるようになり、もう少し言いたいことがいえるようになる、ってことをとりあえず期待しますと言って締めくくっておこっと^^;。

駄文にゅうすさんより。

僕はblogを書くときに下書きをする。まずエディタで書く。Web上で書くことはほとんどない。テキスト・データで保存することもあるし、ときには何日かおいて考え直すこともある。多くのbloggerはどうやって書いてるんだろう?

下書きテキストファイルはあります。そこに溜め込んでいるテーマ(いま50-60個くらい)は思いつくままに書き足して、言いたい事がある程度明確になったら清書してアップロードしてます。でも、そういうネタは後回しになりがちです^^;。理由は、「執筆予告をするもんじゃない」で書いたのと同じようなもので、下書きメモに溜め込んでいるのは、考えが行き詰まったか、その時点で考えるのが億劫だったものばかりだからです。

この記事は 「MT it!!」で出てくる狭いフォームで書いてます。こういうケースの方が言いたい事が明確でさっと書けることが多いってことですねぇ^^;。

そんな訳で、書こうと思っているテーマより、Web 徘徊していてピンと来た記事に対して感想などを書くことの比率が上がっていったりしますです^^;。

あ、私も記事公開してからおかしな表現を修正すること多々ありますー。特に MT it!! ではプレビューも出来ないし、とりあえず公開しちゃってから一度読み直します。

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