2004年8月アーカイブ

P2P技術で“2ちゃんねる効果”を軽減できる無料CDNが正式公開

cookie は使えないので cookie の情報は消えた状態になる。また、キャッシュから返却されるので掲示板などの場合最新の情報が見えることは少ない。
しかし、閲覧だけであれば問題なく、人に紹介する場合には活用できる。

方法は、対象 URL のドメイン部分に .nyud.net:8090 を付け加えるだけ。

キャッシュのコピーが少ないときは直接アクセスより重い。人気 URL なんかはこれを使うとよさそう。
たとえば
http://www.geocities.co.jp.nyud.net:8090/Milkyway-Aquarius/7075/trainman.html
とかは、その当時であればいい効果があったと思われる。

あとは discovery server が nyud.net:8090 固定であるところも解決すれば(専用クライアントかブラウザ改造が必要だけど)全面的にこのネットワーク経由に移行する可能性もなくはないけれど、元の管理者の所にアクセスが来なくなってしまうので「来て欲しい」人には嫌われそうだ^^;。その意味ではキャッシュに対しても著作権の問題が再燃しそうという話も:p。

週刊!木村剛: システム開発者はシステムを信用しない

最初、自分の作ったシステムの完全性を過信しないという意味かと思いきや、他人に使わせて自分では使わない、というお話でした-_-。
まぁ、設計にかかわっていない人とか、今回の例のようにセキュリティ上の問題を知っていても上層部の圧力で対策できなかったような場合はそりゃ使いたくはないですが…。

自分で作った物は誰の手によるものより自分にとって便利にしたい。必ず残っているであろう問題を改善するために積極的に人柱になりたい。

と思える仕事をしたいものですねぇ。
そうすると大規模なのはやりたくなくなるわけですが^^;。
技術者はそれでも一応プロで、(プロと言える人なら)顧客の要求した仕様は何とか満たして納品するわけです。その要求が自分にとって使ってみたいと思えないものであっても。提案可能な立場と提案してはいけない立場がありますが、いずれもプロには違いないのです。

7/14 においらの本が絶版になったらしい。

tips 集みたいになってて文章として読む類いの本じゃなくて、入門書とかチュートリアル的なものを期待された方には申し訳無かったなと思ったりもしますが、解析レポート的な見方をする限りはそこそこの情報は書けてたと思います。
でも、情報集として見るにしても、その中でその時に必要な情報を探すのが難しかっただろうな、と今は思っていまして、使いこなすというよりは叩き込むための書籍にしかならなかったのかも、と反省点ばかり_o_。

購入していただいた皆様、本当にありがとうございました_o_。

表現の完全な匿名性を排除することがプライバシーにどの程度影響を及ぼすか。論点は P2P を含む匿名での情報発信ツールを作成する場合に意識すべきこと。

benli: プライバシー情報放流装置
このコメントの続きになります。私があちらでコメントしていた時点では名寄せでの個人特定の話は意識していませんでした_o_。


表現に関する責任を完全に放棄させてはならない。表現者を追跡できる手段は絶対に必要である。ただし誰にでも追跡できてはいけない。

このことは自由の拘束とは異なる。

そのためには表現に対してダイヤルアップ IP をバインドして記録しておけば十分であると思っている。違法な表現に対しては ISP が発信者を開示することができる。これは常にできる必要は無い。表現者が違法な表現を無責任に放出することを抑制する効果があれば良いと考える。

しかし、最近は固定 IP が増えてきている。増えてきているといってもそれだけで(ISP 以外に)個人特定されるわけで無い限りは、ある程度の匿名での表現の自由は保たれているのだが、この場合、複数の表現を収集され、名寄せによって個人特定されることがある。

ダイヤルアップによる接続時の IP 付与は、ISP のみが個人との照合が可能なワンタイム ID を都度貰うという、プライバシーと追跡可能性の両面においてバランスの取れた方式であったと思う。

ということは、自己責任で特に望んだ場合以外は、IP を比較的短時間リースするようにすれば、プライバシーは問題にならない程度に守られると考えられる。

とはいえそれはインフラがそのようにならないとしょうがない話で現状は理想論。ただしこの点は踏まえたうえで、winny がどうなっていれば良かったか?を考えるのは有用。
winny は発信者を特定できないように(意図した)策を施していた。これでは無責任の助長であり、(違法行為者が根本的な問題とはいえ)2ch と同様に責任を追及されるのは必然。何らかのトレーサビリティを仕組むべきであった。少なくとも作成者の免責という意味では IP のバインドで十分と考えていたが、名寄せによる任意の人間による個人特定は望まれないだろう。従って、winny は匿名性とトレーサビリティを両立するのであれば、コンテンツのインスタンス毎に異なる放流者 ID をバインドし、ID と発信者 IP アドレスの対応はどこかの放流者 logging server に記録するようにしておけば、一応の解決となる。


…まぁ若干苦しいですね^^;。logging server が安全でなければならないし、利用記録が一箇所に集積されちゃうと萎縮して普及しないだろうし。

ただまぁ、逆にそこまでして発信者 IP を隠して winny を使うなら、こちらで書いたような現存するサービスで匿名性も十分じゃないか、という話があるわけですが。やっぱり「今の」winny でなければならないケースがピンと来ない…。


あと、「6'' (ログ)(2004-08-18)」に記されているように、ISP だって信用できないという話があります。が、これはその ISP を選択した側にも責任の一端があるといえると思います。心配なかたは情報管理ポリシーがしっかりしている ISP でダイヤルアップ接続か短期間リースの DHCP が使えるところを探す必要があるのでは無いでしょうか。

あとさらに^^;、拡散したものがほっておいても拡散し続けてしまう問題というのは、私も問題だと思いますがここでは論点にはしていないです。その性質のせいで逮捕とは今の所なっていないと思っているので^^;。

現在は検索で答えらしきページを見つけてそれっきりという web の使い方が当たり前になされています。参考として挙げたページで川俣さんがおっしゃるように「サイトを探す」という行為は相対的にかなり減ってきていると考えられます。
私なんかはマークした優良サイトが多すぎて新しいサイトを見つける行為が減ってしまっていますが^^;。

google や yahoo で先頭に出てきたページの内容を鵜呑みにする人は多数派でしょう(*)。私は調べ物をするときは上位数十ページで目に付くものを比較検討してサイトの信用度/記述の信用度を判断していますが、当たり前のようでいて、実はそういうことをしている人は少数派なのでしょう。携帯なんかだと私だってそんなめんどくさい行為はしないでしょうし。
*:(追記)いや、それ以前にキーワード選別の問題でトップには無関係なページしか出せない人の方が多いかもしれないけど^^;。なんにせよ最初に見つけたページを信用してしまうケースは多そうだ。

そうすると、SEO はプロパガンダに使える、ということになります。

実際、思想に関係するキーワードで検索すると、中立な説明はなかなか見つからず、検索トップに出てくるのはある思想に偏った立場からの説明文だったりします。どういう立場の人が書いたのかを意識しないで拾い読みしていると、簡単に洗脳されそうです。

だから、SEO は布教活動として使えるというわけですか。そうですか。
メディアリテラシーはどうなるかな?もっと腐敗するかな?
技術だけでは基本的に解決不可能な部分だ。中立健全な情報を抽出するシステムは(自分的に)不可能では無いんだけど、そのシステムをユーザが使わなければ話にならないわけで。

参考:
これが新しいインターネット? インターネットは分類されていない答えの溜め池であるか?
この記事を見て「連想」しました。
インターネット知:文脈が読み取れなくなる人々
上と同じく、川俣さんの問題意識に基づくものです。

理想論が嫌われることがよくあります。

「現実を見ろよ」「そんなこと語ってるだけじゃ何も改善しないよ」

理想論は理想的な解決であり、その実現には巨大な壁が多数あり、実現は不可能と思えるものを主に指します。

しかし、理想論抜きに現実を見ることに注力していれば良くなるかというとそんなことはまったくなく、継ぎ接ぎの山が出来上がるばかりです。そういうのは対処療法とよばれます。

対処療法も重要です。できることからやるしか無いのです。

しかし、理想論として切り捨てられる論点は、最終的な解決を見るまで忘れてはならないものだと思います。

理想論とは何が根本的な問題かを見極め、本来ならばそれを解決すればもっともスムーズにことが運ぶというものです。

これをまったく考えないと、対処療法は近い将来より大きな問題を招くだけの手段と化します。「年金」とか「年金」とか「年金」とか。

理想論は、それだけを見ていると前に進めなくなる材料でもありますが、それを踏まえた対応をしていかないと目先の問題しか見えなくなったり、手段が目的化しやすくなります。

あぁ、例はいくらでもあるけど思いついたのが年金だっただけよ、念のため:p。

まぁたとえば、「言論の自由のために匿名性が必要であるという議論の空しさ」等は典型的な理想論。
無理な前提の上では問題がなくなると言っているわけだけれど、この根本的な問題を忘れて「匿名は必須」という正当と言い切れない前提を置く人がたまにいるわけ。
そりゃ匿名は現実的には必要だけど、それは譲歩でしか無いと思うわけですね。

「昨日母ちゃんの形見の腕時計を買った」


通販でだそうです。おいらじゃないよ。しかもその彼の母ちゃん死んで無いらしいし。

たまにはこんな話を。

私自身が整理しようというのではなく、そういった議論の紹介です。感想は垂れ流していますが_o_。

チェインメールは比較的早い時期から、いわゆる「ネチケット」において、「絶対にやってはいけないこと」とされてきた。たとえ献血が必要であっても、すべて駄目だとされている。これに反対する人はほとんどいない。ネチケットなどという、個人の主観に左右されがちなブレブレの道徳モドキにおいて、これほどまでに全員一致で「絶対やってはいけない」とされているものも珍しい。だが、チェインメールが法律で規制されているわけではない。

これと比較して Winny を考えてみると、「中継者の意思の介在」と「その被害がエンドユーザ側に見える」ことが大きいと思うわけです。Winny で違法ファイル放流を行ってもチェインメイルのように各利用者に直接的被害(チェインメイルうぜー、といったもの)が見えるわけではない。そして、チェインメイルと違って「中継するなよ~」という啓蒙の効果も薄い。
そんなことも高木さんは暗に示唆しているわけですね。

引用文のもともとの比較対象は

不幸の手紙は大昔からあった。「3日以内にこれと同じ手紙を5人に送らないと不幸になるよ」といった内容の手紙を郵送するのが「不幸の手紙」だが、「そういうことはやめなさい」といった話はあまり聞くことがなかった。

こういったものとだったのですが、これとの違いというと、なんといっても「中継者にも目に見えるコストがかかっている」ということです。そう考えると、インターネットが従量制なら強大な違法ファイル放流なんて普及しないわけですが、それでは単に不幸の手紙時代に戻すだけであり、発展を止めろといっているようなものです。

ただ(前から言ってることではありますが)このあたりからもやはり言えるのは「違法ファイル放流に対するコストまたはリスクの増加があれば抑止力となる」ということですね。それがあれば今回のような問題にはならず、より建設的な技術発展に結びついたはず。個人的には非匿名性が鍵と思っていますが。

もう一つ言うと、NNTP やら SMTP やらに関連付けて中継者責任の問われていない「技術」は他にもたくさんある、という論点がよく出されていますが、これは単に時代が違うので同一視して語れないってだけのことと思う。あるいは責任を問える対象がいるかいないか?という違いか?
「時代」という点は、それらの技術の登場時に今回話題になっているような悪用の普及の予測が立っていたか?という点で全然作成者責任の度合いが違います。Winny は悪用の予測が十分に立っていました。しかも悪用のされ方として、過去の同じような技術で行われたものとは比較になら無い大規模なものが。予測どころか「悪用」を普及のために悪用したとしか見えないところが特に問題視されているわけですが、その辺は以前書いたように鳥と卵
「責任を問える対象」という点は、SMTP 等の技術を悪用する輩が現れたら、それを防止するための策を様々な方が講じます。これはこのような技術がとうの昔にオープンになっているからです。Winny という単体システムの技術はオープンではなかったから改善を講じる人が作成者に限られていました。以降本文脈からずれることを自認していますが敢えて。今の時代に当時と同基準の(たとえばリレーし放題な) SMTP 相当技術をクローズドで開発して、それが万が一普及して、悪用する輩が大量に現れてしまったら作成者責任は問われないでしょうか?それって一般的に脆弱性と呼ばれませんかね?


benli: キャッシュと暗号と幇助
では、キャッシュを暗号化しているという点に絞って反論がされています。私的には追跡可能性を残すだけで十分と思うんですけどね…。匿名のアップローダにファイルをアップロードして 2ch で告知するなんてことは日常的に成されています。これは、追跡可能性を残していますが、ほぼ事実上匿名での表現手段になっているわけです。そうすると winny でなければならない必然性は?たまに「この手の手段では完全な言論/表現の自由になっていない」といったことを言う人がいますが、そういう人は陰謀論大好きサヨクです。具体的なこうこうの問題があったからより検閲を受けにくい方向を模索するというのはありですが、winny 完全肯定に結びつく感覚はおかしいとしか思えないですね。
はっ、winny ってサヨクが如何にも好みそうな思想の体現だったから過剰な擁護論が発生するんでしょうか:p。最近になってゴーマニズム宣言の古いのとか読み出して、そういった右左思想に関することがサワリだけ頭に入ってきてたりして。最近の小林よしのりさんはちょっと右寄りが過剰化しつつあるらしいですがまだ最近のは見てません。
念のため。P2P 技術の健全な発展を祈ります。

一人殺せば 殺人犯
世界中の半分を殺せば 英雄
人間を全部殺せば 神である

岩明均さんのヘウレーカという漫画での一節。深い…。


ヘウレーカ
岩明 均

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プロパガンダとは
の関連です。書き始めた時期の関係で例えが古かったりしますがそのまま行きます。
ここでは社会的な「陰謀」、より正確には「陰謀論」をテーマにしています。陰謀をめぐらす人は多数いますが、そういう話ではありません。

(一見納得できてしまう主張も含めて)過大な陰謀論を展開する方は結構いらっしゃいます。たとえば、イラク人質事件に関して、プロ市民による自作自演だ、とか、国が国民に自衛隊派遣を肯定せざるを得ないよう世論誘導するために仕組まれた事件、とか、様々な事件が小泉さん支持に働くのは実は仕組まれた展開、とか。

大半は単に極論を言って目立ってみたいとする"ネタ"だろうと思うわけですが、作為的でなく、いつの間にか陰謀論に自分が虜になってしまう、陰謀でしかないと思い込んでしまう方もいたりします。

あくまで私個人の見解ですが、タイトルのとおり、世の中には真の陰謀なんてないと思っています。まぁ正確には「陰謀を成功させるほどの超天才はそうはいない」「世の中の事件が作為的に起こされることはほとんどありえない」「陰謀論者の唱えるような陰謀が真実であることはほとんどない」といったところですが。タイトルはある種の人を煽っているかもしれませんが^^;、今の所間違いとも思っていないです。社会の動きはカオスであって特定の人の意識どおりに動くことなんてありえないのですから。

ただ、社会は流されやすい物でもあるので、些細なきっかけから大きく傾いたりもします。陰謀を仕掛ける人はその些細なきっかけを仕込むわけです。しかしそれでも、その人の思惑通りに社会が動くことは稀であり、陰謀が成立するのは結果論でしかない、と言えるのではないかと思います。どんな結果であっても、それによって得した人を探しては、「その人による陰謀だ」と叫ぶ人がいたりしますねぇ。

陰謀というのは「不当な利益詐取」であると思います。たまたま得しただけで陰謀呼ばわりされてはたまりません。この場合、よく起こるのは不当な手段を使った人ではなく、その結果たまたまその不当な手段を使った人と同時に利益を得てしまった人が陰謀論の標的にされることです。それが浅はかであればあるほどに。対立関係にある人を陥れるために陰謀論を誘発させるという作戦まで行使されるのでたまらんですねぇ。(対立相手に不当な手段で利益を出させる。それにより陰謀論が勃発して対立相手が糾弾され、結果として不当な手段を使った輩の利益となる)

推測は楽しいものですが、真剣に話を前に進めたいのであれば、意図を勝手に推測する前に事実を受け入れる所から行きたいものです。

参考:muse-A-muse: 陰謀論との付き合い方   ヤサシイ(?)サヨクのための杞憂曲
なんか、私なんかが書いたのより分かりやすいわけですが^^;;。

自分の傾向と異なる未知の価値基準を知るため性格診断関係情報を使おう

自分が重視しないこんなことを重視する人がいるのだ、ということを知ることができる。
「自分」や「自分と相手」の性格を診断するのではなく、ね。
診断結果はある価値基準の傾向であって、ある「人」を表すものではないのだから。

だから、特定の診断結果より、全てのパターンを見るほうが有意義。


参考:こんなのとか?見てないけど^^;。
http://www32.ocn.ne.jp/~emina/

前の記事中に書いていたのですがテーマが外れすぎるので別記事に。ですので、前の記事から続けて読んでいただくほうが若干繋がります_o_。

「けまらしい」という新語に関する話題があります。
はてなダイアリー - ARTIFACT@ハテナ系

「あの人たちが仲良くするせいで私が不快になる」っていう気持ちを表現する新しい言葉を作ったらどうか。たとえば、「けまらしい」と言うことにしよう。

これはこれで興味深い(というか、おもろい)と思いつつ見ていたんですが、週刊!木村剛に関するコミュニティに対していかにもけまらしいっぽい反応をされる方もたまにいらっしゃいますね。私は前の記事の余談に書いたとおり、以前はラジオに対してこれに近い感覚だったといえますが、「けまらしい=不快」まではいかず、「けまらしさを感じる雰囲気にたいして無関心或いは面白さを感じなかった」わけです。けまらしいと思う方はそういう系のラジオ番組はやっぱり聞かないのかな?

さて、「けまらしさ」の正体に付いて思うところを。

「けまらしさ」って典型的には、馴れ合いをかっこ悪いと感じている人が馴れ合っている人々に対して感じるものですかね。ただ、もしそうだとすると、それは単に自分がそこに参加しなければいいだけで不快を感じる必要は無いわけです。
もう一つけまらしさを感じていそうなパターンがあって、「ぱど厨」の話題の中にあった「友達取るな」感覚です。
参考:読冊日記 2004年 6月中旬
(小学生程度の)女の子コミュニティなどではわりと当たり前にあるものだそうですが、大人であっても、自分が注目している人が、自分ではない(特に自分がたいしたことないと思っているような)この人たちと仲よくしている様というのは、「なぜ自分がその場にお呼びがかからなかったんだ?」感を持つ、ということがいかにもありそうです。こんな言い方にしてはみましたが、私だって当然あるでしょう。でも私はそれで自己嫌悪になることはあったとしても対象に対して不快は感じないですけど。
これにぴったり当てはまっていなくても、自分が尊敬する人が、他の名の知られていない方と仲よくしていた場合、その尊敬する人に対して自分勝手に汚名を着せたりしているのかもしれません。そうでなければ通常そのことについて言及する必要が無いですから。
まぁ、「馴れ合ってる暇があったらもっと他のことやれよ」といった意見が常に自分勝手な意見とは限りませんが。特に分かる人には分かる馴れ合いの果てのグダグダ状態とかを見ると、あぁまたこのパターンか、みたいな感じですか^^;。

まぁ、そんなわけで、「けまらしさ」って個人的にはやっぱり「卑屈」が現れているかな、と思います。自分が絶対そんなこと感じないなどとは言いません。「けまらしさ」を感じない/表出させないように注意していきたい、とは思いますが。

以前、以下のような記事を書きました。
有名人のネット参入障壁の低下はやっと始まろうとしているかという程度

で、隊長のエントリで「ラジオ業界」について触れられていて、やはりラジオ→blog という流れは難しいという結論。
打って変わってこういうお話が。

週刊!木村剛: 「週刊!木村剛」がラジオに進出!?[BLOG of the Week]

すごく共感。週刊!木村剛はまさしくラジオ番組になっています。

余談ですが、最近オーディオのチープな車に乗る機会が多く、なんともなしにラジオを流しているのですが、結構面白いものだな、と思いました。別に昔から大きく変わったわけではありません。リスナーからの FAX(今は電子メールが主体になっているところは変化ですが)をピックアップして、読んで、それに対して色紙などのちょっとしたプレゼントを送るというものが多いです。
昔は自分が参加してもいなくて(参加する気はもともとなかった)、他人同士の特別に面白いわけでも無い話を聞いているようなものであり、わざわざ聞くものでもない、という印象でした。
今聞くと、そうやって楽しそうにしているところがほほえましい感じがして、以外と心地よいのです。つまり、単に自分の意識が変わっただけですが^^;。我ながらこういうときにうまく歳を取ったと自画自賛してしまう。

話を戻して、ラジオ→blog が難しいのは、反応の全てが読者に見えてしまうことにあります。ラジオでは都合の悪いことは放送しなければいいですから。では、上記での週刊!木村剛はどうか?「反応の全てが読者に見えてしまう」にもかかわらず、好調です。

私は先の記事で、

木村さんのうまさは読者の反応のピックアップの仕方にあると思うんですが、あれを真似できる人は少ないだろうなぁ…。

と書きましたが、何のことはない、ラジオの DJ は大抵そういうことをやっているわけです。ただ、それぞれの意見の文脈を、当人の思惑をできるだけ損ねず(*)、反論を完全無視もせず、自分の文脈に繋げる技術はやはり並大抵では無いのですが。
*:それでも「自分の言いたいように受け取ってもらえなかった」といった反応はたまに見ますしね。でもラジオもそんなもんだし木村さんはその点下手な DJ よりはよっぽどうまいし。

blog→ラジオは、blog 上で一定のコミュニティ化が成功したという実績がありさえすれば、逆と比べてよっぽどスムーズに行きそうです。木村さん以外ではラジオ向きなものはすぐには挙げることができませんが^^;。

続きの記事です。

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