(続き)
さて、ビジョンを「夢」と置き換えたとして、それが会社にとってどれくらい重要かについても私見を書き留めておきます。
夢は会社に限らず重要です。夢は目標/モチベーションの源泉です。
ただ、会社のビジョン/夢と言ってしまうと若干気持ち悪さを感じます。
社長のビジョン=会社のビジョンであるなら問題なく、大抵はそうであると思います。
もし従業員みんなのビジョン=会社のビジョン、となるとどうなんでしょう?
友だちが寄り合って起業した場合は、目的ありきな場合が多いことから、そういうケースもあると思います。
が、その例外を除いたほとんどの場合は、全員が勤め先に同じ夢を持っていることはないのではないかと思います。
もちろん先の述べたとおり、社長のビジョン=会社のビジョンであり、且つ社長のビジョンに共感した従業員みんながその達成に尽力するのは普通の姿です。ここでは従業員に「会社のビジョン」を求めることはできるのか?という疑問です。
答えは分からないですが、現時点では私はとりあえず「なんか違う」感を持ちます。
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現在私のいるキュートという会社は、完全成果主義というか、個人的に考えるところの「真の成果主義」を採用しています。
自分の上げた売上は自分の報酬に直結します。プラスもマイナスも直接自身の報酬に影響します(ただしマイナスがあっても給与は保証しています)。ある意味フリーと変わらないのですが、会社という枠組みに入っていることにより多大な恩恵を受けているため、この制度はかなり気に入っています。
この制度では、社長という存在がかなり特異なものになります。もちろん社長がビジョンを前面に押し出しても良いのですが、現在はそういう運営はされていません。ある意味企業組織として限界ぎりぎりまで自由が与えられています。当然責任も。
そのような背景にあって、「会社のビジョン」とは何かを考えると大変難しいことになります。
従業員の個々のビジョンの最大公約数が会社のビジョンになるのかもしれません。それである程度具現化したビジョンになりえればそれは楽な運営です。上記の「友達寄り添い起業ベンチャー」と同じです。
しかし、ばらばらな夢を持った個人が集まってできた組織においてはそれは避けたほうがよいであろうと考えています。逆にビジョンの無理な画一化によって何らかの弊害が起こるかもしれません。各自が各自の夢を目指してさまざまなチャレンジをしていく上で、可能性の選択肢を広げ、そして自分の向き不向きを自覚してゆき、夢は続けど自分に適した役割を見つけていったときに、この組織は「具体的なビジョン」に到達するのではないかと思っています。
ちなみに、メタレベルのビジョンは現状でもそこそこ共有されていまして、それは「やりたいことを気持ちよくやれる環境」とでも言ったところでしょうか。なので、そのために具体的にどのような事業展開を(しかも気持ちよく)していくかといったところが、現在全員で考えている「計画」です。
あ、そうそう。こんな運営をしている企業はほとんどないと思うし、この点はかなり誇れる部分であると思ってます。こういう環境への興味と自信がある方がいらっしゃれば、お気軽に声をかけてみてください。
…等と書きつつ、会社からストップがかかればこの記事は消すかもしれません^^;。