心理学化する社会―なぜ、トラウマと癒しが求められるのか(斎藤 環; PHPエディターズグループ; ISBN: 4569630545)を半分ほど読み中。
前半ははっきりいって私的にはどうでもよかった。今、さまざまなストーリーでトラウマ(過去の心の傷)が使われている理由は単に勧善懲悪が流行らなくなったから、と思ってるし^^;。
で、まだ途中だけど興味深かったのは p76 の「トラウマの結果は予測できない」の部分。
注:引用は書き写しです。あと、また引きの引用にあたります_o_。
精神分析の批判として、故・西丸四方氏が出したユーモラスなたとえ話がある(創元医学新書『異常性格の世界』)。ある子供が戸棚の中の砂糖をなめては、母親に叱られることを繰り返した。その子は将来どういう人間になるだろうか。
- ある人はのらくら者になった。母親に叱られすぎて、欲望を押え込んでしまう癖が身についたからだ。
- ある人はサディストになった。叱られすぎて母親や妻に復讐することに喜びを感じるようになったからだ。
- ある人はマゾヒストになった。叱られる苦痛を耐えているうちに、そこに快楽を見出したからだ。
- ある人は同性愛者になった。母親を嫌って父親を愛するようになったからだ。
- ある人はスキーの愛好家になった。砂糖を雪に置き換えたのだ。
- ある人は仏教が好きになった。砂糖は甘いので音の連想から「尼」が好きになったからだ。
西丸氏は、ざっとこんな語り口で、この子供の将来のバリエーションを一〇通りほども並べてみせる。…
ぷぷぷ。要するに、今に対して過去の特定の事象に因果関係を見出すのは簡単だね、というお話。逆に言うと、今の人格が過去の特定のトラウマにもっとも大きな影響を受けたことを証明するのは不可能に近い、と。
なんというか、原因を求める姿勢も行きすぎるとこう(たとえば上記の最後の例とか:p)なっちゃうんだなぁ、としみじみ思った。
まぁでも原因を求めていろいろ考察すること自体は良いことと思います。責任を求めるのはほどほどがいいけど。

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