自分の気持ちでなければ言うべきではない?

先日、興味深いご意見を見つけました。

「枡野浩一さんの文章にカチンと来る人もいるはず」
「枡野浩一さんの文章をわからない人もいるはず」
といった角度で言葉を投げられるのが、私、大嫌いなのです。
架空の、
実際には存在しないかもしれないだれかをひきあいに出して、
そのじつご自身の意見をのべているわけですから。
(ご自身の意見でないのなら、なおさら……
「あなた自身はカチンと来なかったのだから、いいじゃん」
「あなた自身は文章わかったんだから、いいじゃん」
と言いたい)
堂々と、
主語をご自身にして、
私の目を見るように話しかけていただきたいと思いました。

引用箇所は枡野浩一さんによるコメントです。

なるほど、お気持ちは分かりますし、このような信念の方が多数いらっしゃることも想像できます。そして、ご自身がそういう信念であることは尊敬に値すると思います。しかし、それを人に求めたり、そのことを以って聞く耳を持たなくなるということがあるとしたら、同意できないです。

私は tsupo さんの行為は代弁などではなく状況分析であると思います(ご本人もそうおっしゃっています^^;)。分析が正しい/間違っているといった話になるなら解るのですが、代弁ならいらない、とレッテルに対して反論された形になってしまっています(この話題自体は既に収束しています)。

気になさっているのは、「その分析から導かれた感想を持つ人が実際にいるかどうかわからないのに」という点なわけで、それはまさしく「分析が正しい/間違っている」という論点ですね。そして、上記コメントのやりとりにおいては

あなたの「代弁」の中身には一理あると思いました。

とおっしゃっておられるので、分析には納得された、と。

そのようなわけで、結局、「自分の気持ちでないなら言うな」と言うわけではないように思います。ほっ^^;。

でも、そのような行為に反射的に拒否的な言動をとってしまうということは、きっと多くあるのだと思います。私はそういうのはレッテルであると考えていますが、実際にピントはずれな分析が多いことも確かですので、気持ちは分かるわけです。

単に情報提供と捉えられればよいのですけどね~。


さらには、私は何かを述べる時に別に対象に向かって話しかけなければならないということはないと思っています。自分のことを話している人が自分に対して話しかけていなければならないというのは窮屈だなぁ、と。陰口に関する話題でも書きましたが、自分なりの根拠が述べられている、或いは根拠の説明の意思がある評論については、行動様式/人格は度外視して拝聴します。

最後に、この記事の趣旨、或いは書くきっかけは、「あれ?自分のやってることってどうなんだろう?」と気になったということです。枡野さんや tsupo さんに何かが言いたいというわけではないわけですが、そういう記事はどう受け取られるものなのかは少々気になるところではありますね^^;。


それはそうと、いつか短歌作ろうかなっと^^;;。

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このページは、Shinが2004年4月22日 12:01に書いたブログ記事です。

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