個人にとってのリセット可能な関係

なんでも「リセットできる」、そんな「使い捨てされる人間関係」が主流となった時、コミュニティや社会がどう変わっていくのか、それとも、やはり、所属するコミュニティが社会の中心であり続けるのか。。。

所属するコミュニティは永遠に無くならず、そしてそれはいつになっても「リセットできる関係」よりも優先されるので、社会の中心はともかく、少なくとも個人の中心は所属するコミュニティであり続けるんでしょうねぇ。 しかし最近の問題としては、ひどいケースでは所属するコミュニティよりリセット可能なコミュニティを優先する個人が現れ始めてる、ということですか。ひきこもり系の一部など。でもそのような人は、リセット可能な関係のはずの物がリセット不可能になってしまっている。そこから排斥されると心のよりどころがなくなるかのような。

つまり、個人にとっての主流はいつまでたっても「リセットできない関係」なのかなぁ、とか^^;。で、物理的なリセット可能性は、個人の心のうちにあるリセット可能性と一致しない、と。それじゃだめなんだけど。

「社会の中心」の方はというと、確かに一時の関係、と割り切ったほうがよいと考える人は増えつつある気はしますねぇ。Unforgettable Days さんはコミュニティに限定していらっしゃるので、ここで書いたことはずれる話題ではありますが、集団でなく一対一の関係、というか、ある相手に自分のリアルのアイデンティティを伝えるか否か、という点ではかなり保守的になってきている。プライバシーが騒がれることはそれを助長する結果となっている。
文脈が少々違いますが、以前、

身元が割れる立場でコメントを付ける事には抵抗がある人もいるかもしれません。繋がってしまうという抵抗が。

こう書いたことがあらゆる人間関係において拡大しつつあるかもとかも思ったりします。それでも人間はそういう関係だけでは生きていけないのですが。これは社会的に、ではなく心理的に。

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