愛国と同じ文化で生きている人々への共感

Gypsy Blood「愛すべき場所は二つ」/松永的愛国心論まとめ編 [絵文録ことのは]

あんまり深くは入り込めませんが_o_。私は上記記事で述べられている点について松永さんにかなり近い思想ですので、ほとんどの部分に共感します。
「愛国」「誇り」の例として「オリンピックで日本人が好成績をあげたら嬉しく感じる」といった例が出されていますが、それってもう少しだけ厳密に言えば、「自身に近い文化で(進化してきた/)育った人がそれだけのことができたのだ(だから自分も励まされる)」という共感が根本にありますよねぇ。私も「あぁ、頑張ったんだなぁ、すごいなぁ」と思っても、「俺はこのオリンピックで好成績をあげた人の所属であるところの日本人なんだぞ、すごいだろ」とは言いたくないクチです。まぁそれを言うことは一般的に「誇り」かもしれませんが、私には「虎の威を借りる~」にしか見えませんし。あ、もちろんその人がすごいとは言うでしょうけれど。

「国」と「国家」の区別という話題がありました。「国」が愛国の対象ということでしょうけれど、それがまさしく上に挙げた、同じ文化圏で進化/生活してきた人の集合を指しているのだろう、と。

私的には「(日本人としての)誇り」を持つとするならば、「自分の行為によって日本人の品位を落とさないようにしよう」「どうせなら、日本人ってすごい人がいるのね、と思わせる中の一人になろう」「あぁこの人は日本の誇りだ、自分も頑張ろう」といった考え方でいいじゃないかと思ってます。で、それが強制されなければならないとは思わない。松永さんは一番目について触れていらっしゃいますし、私も「日本」にこだわりはなくとも似たような主張はしょっちゅうしていますが、ぜんぜん強要はしないです。

あと、(私が近いと感じている)松永さんの考え方が、一般的とは言えなくとも「日本的」と称されていたことに誇りを感じたり^^;;。「愛国心」が悪いなんて毛頭思いませんが、愛国心が身内をより愛せよといったものであるとするなら、愛国心と差別は本当に紙一重と思います。で、松永さんは単にレッテル/差別は止めようよ、と言っているに過ぎないと最初の記事の段階で思ったわけですけどねぇ。レッテル/差別に該当しない人を批判しているわけではないという点についてかなり注意深く書かれていると思いましたし。

ss さんのコメントより。

無論、「日本人的」なものには良くない部分、悪い部分もたくさんあります。それを受け入れた上で良い部分を良いと思えること、その下地を持つ文化を享受できることを感謝する、それを「愛国心」と呼ぶのは間違っている、あるいは恥ずかしいことなのでしょうか?

よい部分については(当然よいと思っていて)単に触れていらっしゃらないだけですね。自国民の悪い部分をよくないんじゃないか?と指摘することは「愛情」ではないでしょうか?自国民も他国民も無いと思うので愛国心とは書かないですけど。あと、愛情だから常に善とも思わないですけど。
まぁ、そういった自虐をなんとも思わないところは(他の文化と比較すると)日本的なのだそうですが^^;;。

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このページは、Shinが2004年7月29日 04:25に書いたブログ記事です。

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