muse-A-muse より。
はてな 「社会のために」などと言いますが、人はなぜ他人の為に生きなければならないのでしょうか。一方、そのことに対して幸せを感じることもあります。その幸せの理由や「他人のために」の意義を教えて下さい。自分は哲学や心理学に対してズブの素人なので専門的な回答はツライつらいんですが、客観的な回答をお願いします。できれば秩序や経済的な合理性などではなく、「哲学っぽい」回答を期待しています。素人臭くてすみません・・・
客観的調査も勉強も0の思ったままなのでこっちに書いてみたり^^;。確かさはまったく検証していません。
「情」があるから。他者の喜びが自分の喜びになることは「共感」ですが、共感に基づく利他的行動は「自分のため」。「他人のため」の利他的行動は「情」ですね。
ということは、共感のほうは比較的説明しやすいわけですが、情(m_um_u さんの例だと猫を可愛がる感情とか)はやはり謎。謎の感情だけど人間に最初から組み込まれている。
ただ一つ思うのは、ボランティア(特に似非)などは対象への共感とは違う部分で行動しており、一見「情」で動いているように見えるけれど、明らかに利己的行動なんだよなぁ。(情でボランティアをされている方ももちろんいますが)
ボランティアをやった自分に酔うために(あるいはもっと打算的に)ボランティアをする、ということもかなり多いと思います。このあたりは本能とは違って社会的にそうすることが自分にとって益であると暗黙のうちに刷り込まれてそうなるのかな、と。「ボランティアでもしてみなさい」とか言われたこと、ありませんか?
まぁ、そうやってでもボランティアをさせることで、本来の「情」を呼び起こさせようというのが狙いなわけで、実際にボランティアをやって情が移るケースが多いのでそのこと自体はまったく構わないわけですが、たまにいつまでたっても情が表れない「自分に酔う/他者からの評価」だけ、という人もいますねー。
というわけで、まずは「情」とそれ以外を分離してみる。
「情」そのものについては分析不能な気もするけれどまたいつか思考実験してみよう^^;。
(追記)
ono さんから以前重要な指摘をいただいていたことを忘れていました_o_。
ちょっとうろ覚えで危ういのですが、囚人のジレンマ、ゲーム理論あのあたりはご存じですよね。
で長期にわたる競争の場合、利他行動がもっともメリットがあるという結論になるわけですが、あれもともとは生物学者の発見なんですよ。
で種の保存(仲間の保存)のために生き物は基本的に利他行動を取るわけなんですが、仲間殺しをするのは、利他行動を取らない連中(仲間)を排除する。
ゲーム理論そのまんま(爆)
非協力者には非協力でお返しする ってわけです。
よーでけたぁんなぁ。
「情」とは違う視点での利他行動の根拠です。
生物学的な利他行動は昆虫などを見れば明らかで、人間にも絶対に存在するものだろうと思います。それに加えて「情」が存在するなぁ、とも思います。

もうちょっと書いとくと、
http://www.sk-jp.com/mt/philosophical/archives/2004_01/30_020619.html
こういうこともあるわけで、これは生物学的観点という気がしますが、他にも、たとえ同じ種でなくとも、小さなもの、けなげなもの、弱々しいものは守りたくなったりするわけで、それが「情」。
強いものがより強くなっていくのを応援したくなるのは情とはちがうなぁ。それは共感かな。
http://www.sk-jp.com/mt/philosophical/archives/2004_07/29_042530.html