「運動」と「いじめ」

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ある種の「運動家」がなぜろくでもないか。
運動家は糾弾が大好き。当初の目的が抵抗運動だったとして。その抵抗を集団の力によって成しえた気になってしまうと、その瞬間から「いじめ」の心理が働き始める。他人を追い込むことがたまらない快感で、それを止めることができない。そのくせ、自分が批判されることを極度に恐れ、必ず集団全体が批判されたと思い込んで抵抗する仲間を捜し求める。そうやって集団への依存はさらに加速してゆく。

しかし、自分の意見を認めてもらう(認めさせる)ことと「運動」は不可分でもある。
防衛と攻撃、そして被害とは何か、きちんと意識しないとなぁ。

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このページは、Shinが2005年1月 5日 12:35に書いたブログ記事です。

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