考えるのを嫌がる若者の増加はゆとり教育のせい?

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考えることや新しい情報を知ることを楽しいと思えない若者が増えている。ゆとり教育の目指すところと逆の結果になっている。しかし、「ゆとり教育」と称して実際何をやったかを考えれば納得はいく。ゆとり教育は環境を整えるだけで、根本的なことは何もやっていない。いや、何もできないと言った方が正しいだろう。楽しいと思えないことを無理やり楽しいと思わせるのは不可能なのだ。
いや、本当は無理やり「楽しい」と思わせることはできないことはない。例えばテストの点を競わせて、他人に勝つことや点が上がることの優越感を「楽しい」と思わせることはできる。そして、それを考えることの楽しさだと勘違いさせることはできる。しかし、本当にそんな方法でいいのか?知らない状態と勘違いしている状態とでは、どちらがいいのだろう?
結局、ゆとり教育と称してやったことは、生徒たちを全然関係ないエサで釣って無理やり勉強させようとするのをやめたこと、そして自分から勉強したいと思うまで見守ることである。だから、自分から勉強したいと思わない生徒の成績が落ちるのは当たり前のことである。そして、それは変な勘違いをして将来性格のねじ曲がった大人になるよりはマシだと判断したのである。

最近、ゆとり教育の弊害をクローズアップする論調をよく見かけます。私も害のほうが大きいという気はしていますが、現在の論調になる以前はそもそもゆとり教育なるものをあまり興味を持って見ていなかったので、当時どう思っていたかはわかりません。

ただ、本文冒頭に記されている「ゆとり教育による学力二極化」についてはその通りと思いますが、考えることを極度に面倒くさがるという現象がゆとり教育のせいであるとはあまり思えないです。

人間の知的好奇心は絶対になくならないので、競争心/向上心のある数%の人はゆとり教育化の影響なく伸びていくでしょうし、それ以外の人にしても無理やり勉強させられていた時間が空いた時間になったとしても、各自なりに好奇心を満たすための勉強はするはずです。ただ、興味あることしかしない分偏り(オタク率:p)が出やすくなって、一般に言う「学力」は低下するでしょうけれど。

ここで「考えるのが面倒くさい」となる理由は拘束されたとか時間ができたとかではないですよね。

問題は多様化とそれに引きずられた消費者優先社会です。リンク先でも「大部分は社会のせいである。学校のやり方を昔に戻したら昔のようになると思うのは大間違いだ。」と述べられている通りではありますけれど。まぁ、今に始まったことではなく資本主義になってからずっと積み重ねてきたことですしね。

選択肢が多すぎて迷う、という問題について書いたことがありますが、それに加えて、「あまりにも解が世の中に溢れすぎて、自分で考えて答えを導き出すのがばからしくなる」人が増えているのではないでしょうか。

消費者が神様な上に不景気も重なって、とにかく便利な物を面倒ごとなく提供しないと供給側が生きていけない状況で、子供にしてみれば一言言えばどこかからほしい物が降ってくるのも当たり前、となりかねません(それを防止するのが親の役目なわけですが…)。考えなくても探せば解が見つかる、探すのも面倒だから聞けばいい、聞くのも面倒だからもっと楽できる遊びで済ませる、それでも満足できてしまうほどにできそうなことは多様化しているのだから、と。

そうやっていくうちに、いつの間にか自分にできることがすごく限られていることに気づく。そりゃそうだほとんど学び/考え/経験してないんだから。供給してくれる誰かがいないと何もできない、そして、ニートなる現象にもいくらか結びつきやすくなる。

ちょっとニートを連想して話題がずれたのでその辺は別記事にて。


(追記)
ふと思い出したのですが、スタンダード 反社会学講座に習えば、ここで書いているようなことは、単に印象だけから感じる杞憂である可能性も多分にあります。単に「そんな気がする」だけです。
特に、「自分は若い頃考えるのが面倒ではなかったのか?」と考えると、当然のごとく面倒だったわけです。ただし、興味あるもの=趣味に関しては一所懸命考えていたのは本当。そして、現在の若い人たちが総体として「考えることが面倒になっている」と言えるのか?というと、はっきり言って私は根拠のある統計的資料など知りません。社会が「考えずに済む」ように変わっていけば、個人は自分が考えたいことを考える時間ができる、とも言えるかもしれませんしね。

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コメント(16)

引用元リンクとして適切なのは私のサイトではなくて
http://iwatam-server.dyndns.org/column/65/
だと思いました。

あ、cite 内ではそっちを指してまして、「~より」は「via ~」のつもりでよく使ってますが、考えてみると分かりにくそうですね。
実は「~で見つけた」ってのをなるべく先に書きたい人なんですが、妙な紛らわしさが出るようだとやっぱ止めたほうがよさそうですね。

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このページは、Shinが2005年1月 5日 18:35に書いたブログ記事です。

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