blogの最近のブログ記事

私には見難くてしょうがないんですが。

もちろん何でもかんでも文中括弧書きが見やすいと思っているわけではないですけれど、文末やページ下に脚注が載ってても、脚注の記述対象を確認するのが億劫で元の文脈を取り戻せないので読むのが嫌になる人です。

HTML での脚注ならリンクと ALT+←で行って戻ってくることが大幅に楽になっているのでまだいいのですが、私の場合、それでもあまり読む気になりません(*)。脚注だけで2-3行を超えるくらいの分量になる場合は仕方ないですが。

*:HTML は紙媒体と違って1ページの分量がばらばらなので、脚注が5つも6つも、ということが往々に起こりますが、読むのがとても苦痛です。…と思ったら、いまどきの HTML での脚注は title 属性に脚注本文を入れたりしていて、マウスオーバーで読めるようになっているみたい。これは知らなかった。便利^^;。気づかれないと悲しいですねぇ。

脚注を文章の左右に配置するのはかなり嬉しい手法です。とにかく、今読んでいる本文の位置と脚注の関係を見失ったり、確認するのに視点を動かさなければならないようなものが嫌いなんです。

でも論文をはじめとして、本文中にこういった補足事項が含まれることを嫌う人のほうが多いようです。
なんででしょう…?(純粋に質問)

用語の一般的な説明などは、それを既に知っている人にとっては不要な情報なので脚注を使うのが適していると思います。
紙媒体であれば、URL なんかもそこをわざわざ読みはしないので脚注でしょう。

そうではないもの、特に著者の主張が含まれる補足的事項はできるだけ脚注にはして欲しくないのです。皆さんはどうでしょう?

私はこの記事でもしているように、()書きがさすがに辛いと思ったときは、なるべく近い段落の直後に記すようにしています。このような書き方がどれくらい見難いと思われているのかにも同様に興味があります。ちなみに、雑誌記事などに寄稿したときはこの記事のような書き方をしていてもしっかりページ下部の脚注に移動されますが^^;。

現状のblog界隈のやり取りや言説の流れるさまを見ると、2、3日程度の期間で発生するスパイク・ブームの連続・重畳が主たる様式であり、同一のテーマが継続的/持続的に議論され、時間をかけて合意(あるいは決裂や破綻)に至るようなプロセスはあまりないようです。
人々は目新しさを求めているのでしょう。一瞬の盛り上がりを楽しみ、次の瞬間には別の波を探しているのでしょう。

檜山さんへの言及というわけではありませんが_o_。
昔ここにぽろっと書いたことですが、その空気は悲しいかな、当時の自分にすらあったわけです。
ま、それでも

でも、書くけどさ。

ってなわけですが。私は今は引用したりおいらクリップでピックアップする記事に古いも新しいもありません。おかげで、言及されることは少なくなりましたけど^^;。

この問題についての意見を久々に見てふと思ったのは、「みんなものすごい勢いで話題を消費していっているわけだけど、ほんとに消費されちゃってることが多い」ってこと。

インターネット上ではよく、「そんなのはウン年前から言われている」とか「そんな古い話題を」といった意見を見かけたりするわけで、まぁ実際そこで議論し尽くされていたりすることもあるのですが、その経緯と結論と原因をきちんと理解している人は、これらの言葉を発する人の何割くらいでしょう?

その話題が過去にあったことだけが頭に残っていて、それだけで「私はもうその話題は知っている」と言わんばかりに「いまさら」と言ってしまったりすることはないでしょうか?

消化吸収するのは大変です。そのわずかながらの助けになるのは日記だったりするんですが、自分の言葉を少しでも多く書いておかないと、それを見てどう理解したかは結局忘れられていくんですよねぇ。

せめて「知っているだけ」のことと「(自分なりにであっても)理解した」ことを自分の中で区別していくようにしたいものです。

(追記) 2004/06/11
タイトル変更。及び関連リンク。
検索つまみ食い文化による偏向思想の植え付け

このような「何でもあり」の状況から脱出しないと、ブログは情報発信ツールではなく、単なる自己満足のツールで終結してしまい、いつになってもTVや新聞を凌駕する時代は到来しないのではと私は思います。もちろん、凌駕する必要性を感じない方には関係の無い話かもしれませんが、ブログが淘汰されることだけは避けたいとの思いは同感いただけると思います。

週刊!木村剛 powered by ココログ: [ゴーログ]果たしてブログは市民権を持ち得るのだろうか?より。 この部分だけに反応します。 ブログそのものが TV や新聞を凌駕することはないかもしれません。TV や新聞とブログの決定的な違いは、「誰でも参加できること」です。 これはすなわち、破壊的行動を行うものを排除する手段を(少なくとも現状は)持たないことを意味します。 テレビや新聞はそのメディア自体を崩壊させようともくろむ人間がいたとしても、テレビや新聞自身の上でこれらのメディアに対するネガティブキャンペーンは行われませんし、破壊的活動への防衛力があるといえますが、ブログはそういったことにも有効な歯止めが効きません。 もちろんホスティングサイトの規約などはありますが、規約に触れる直接的な破壊的活動というより、言論の自由に則るということそのものがある種の破壊的活動に映ってしまうことにより、大衆に受け入れられない可能性が高いです。 自分の言論の自由は主張したいけれど、他人の言論は受け入れたくないというのが人間ですから。

フィルタにかかった上に適当に権威付けされた情報のほうを好む人のほうが多数派であろうと思います。もちろん最近は社会の(ネットに対する)意識の変化が顕著に見えるのですが、ネットでの「言論の自由」の現場を見て、やっぱりテレビのほうがいいやと思ってしまう人も多数いると思います。

ま、だから「凌駕する必要性を感じない」ですけどね^^;。
規制が入るほど、TV/新聞を凌駕する能力を持ちえる、とも言えるかもしれませんね。

 なお、「断定」ではなく「疑問」形式にしておけば印象操作・ネガティブキャンペーンにならないだなんてことは全然ありませんね。その程度のレトリックでごまかそうというのはいかがなものかと思います。

面白いですねぇ。

思想・言論の自由として、「自分はこう思っている」と言うのは自由なわけですが、言ったからには責任は取らなければならない。
このケースでは、言った人が誰であるかが明確でない、或いは自明であっても責任を追求しようとしたときに逃げられる可能性があるケースにおいて、他者の言論を削除する権限を持つ(ブログオーナーであるところの)小倉さんがそれを放置した事に関して責任を負うことになるのは迷惑だから削除した、と述べられています(と、私が解釈しています)。

で、それはいいとして、対象コメントが断定口調であるか否かは無関係である、というのが上記の胆なわけですが。

まぁ、他者の発言の責任まで持ってられないから、削除権限のある方が責任主体となるのであれば、その裁量で削除するというのは受け入れられます。

ここで抜けているのは、削除された方が言われている通り、その方に対する誹謗かもしれない「プロパガンダだから削除した」とか「自分が不快だから削除した」いった、客観性があるといえる根拠なしに削除をされたことに対する責任のほうです。ブログは自分の城だからということで、「削除の自由」を肯定する反応が多いように思いますが、それに対する責任もどうしても付いてまわります。
言論が自由であるのと同様に、ブログオーナーには削除の権利と削除の自由があるわけですが、削除の自由に伴う責任として、それに対する反発があったわけですから、その反発を受けいれる/何らかの(例えば根拠説明)対応を行うといった責任が発生しています。放棄すればそれなりの批判にさらされます。
コメント欄においてではありますが、公開の場において該当者は言論の自由を侵害されたのですから。

まぁ、自分のブログに書いてトラックバックしていれば「このケースの」トラブルは避けられるのですが。だから今でも多くの人が 2ch に書くのかしらん:p。それでもトラックバックを削除されたら文句をいう人がいるでしょうけれどね。そのあたりが、客観性=より多くの人が納得できること=常識の話なわけで。

で、閑話休題で、もし穿った見方だったとしたら(件の話題がそうかどうかは知らないです)疑問系であっても削除されるようなものなのか?というのがここでの私の疑問点なわけですが。これはどうなんでしょう?普通に考えたら「言論統制」と騒がれるケースでしょう。主観ではなく事実であるかのようにいうのは明らかにプロパガンダですが、主観であることが明示されているのに、それを言うことを禁じられると考えると普通は誰しも嫌でしょうね。

でも、疑問系であれ、それを表明したいと思った人は、確実にそれを他者に聞いてもらいたいと思っているわけで、思ったことを聞いて欲しいという時点で、これまた確実に同調意見を期待しているので、その観点で誘導性があるといえば、それはあります。誰かがそれを漏らしたことで、皆がいっせいに表明しだすのはある意味「真理」ですから。ただ、だからこそそういうものに対して「プロパガンダ」「レトリック」といった言葉は当てはめられないだろうと思いますが。「ネガティブ・キャンペーン」という言葉だけは当てはまりそうですけどね。

ここではさらに、その言論の表明先が他人の「場」であった、という問題があるわけですが、断定か否かということとは無関係ですので無視します。
そして、結論は保留します。

過去は「弁護士って大変なんだなぁ」くらいに思っていましたが、最近は不憫を通り越して不快に近いものがある…。弁護士が自分の弁護を始めるとやはり多くの人の不快を買うのか…。

なお、この文章は「言論」「責任」といった用語に関して法律的な定義を知らない人間が個人の感性に基づいて書いた感想であることをご了承ください。

切込隊長BLOG(ブログ) ~検事の視点キングダム: 独自ドメインのブログの意味 より。
[R]Richstyles!: どうする、独自ドメインブログ?(追記あり)
cozymaxΣweblog :: 独自ドメインを選ぶ意味

cozymaxΣweblog さんへのコメントとして書きかけてたら長くなったのでこちらにて。自分とは違う Shin さんもコメントされてたことだし^^;。久しぶりのメタブログ。


独自ドメインの利点として抜けてると思ったと言うか、私がそうした理由は、

URL が変わらずにコンテンツが常にそこにあり続けられる

って所です。ホスティングだと将来さまざまな理由で URL が変わる可能性があるので困ります。書籍に URL を載せることになるのがきっかけで独自ドメインにしたわけですが。
一度出したコンテンツ(=第三者から参照されたコンテンツ)は何が何でも消したくない人には重要な観点かなと。


せっかくなのでアクセス数の差異についてもですが、ココログで始めた頃は明らかに(出している情報の質からすると^^;)過剰にアクセスがありました。
独自ドメインに移転したら目に見えて減りました。

原因は、検索優位性も大きいですが、(少なくとも当時は)ホスティングする側も受ける側もコミュニティ志向が強かったことも大きいと思います。仲間意識/帰属意識があって根拠なく親近感を持って見るという方が少なからずいらっしゃるというところですか。
独自ドメインは一匹狼的ですね。なんだかんだ最初は。
独自ドメインへの移転の告知はしていましたが、それまで見てくださっていた方が全員引っ越し先に来たとは思いにくいアクセス変化でしたから、やはり「ココログにいたから」みたいなところもそこそこあったように思います。

まぁ私自身は今はだいぶ読者のことをあまり考えず淡々と書くようになってますし、何より更新頻度を下げているので、減ったアクセスが再び増えたりはしてないですけど。

まとめるとタイトルのように、
「ホスティング blog はコミュニティ志向(ぶっちゃけると馴れ合いですが、別に悪いことでも何でもなく)や、情報を出して反響を呼びたい人に向いているし、独自ドメインは情報を蓄積していくことを主目的とする人に適している」
と、あくまで傾向としては言えそうです。

参考:philosophical: 読者の増やし方、教えます
昔、実験的にこんなことも考えたりしました。
この中で、
「ある程度認知度が上がると他愛もない記事でも公開直後にアクセスがある」
ってのは今またちょっと興味を持ってたりします。
更新頻度を下げて、この現象がやはりあるというのが顕著に見えるから。きちんとは見てないですが更新数時間後は検索経由のアクセス数が増えているようです。

もう一つ muse-A-muse さんから。

「こうしたブロガーの発言は、確かにCBS Newsを悪者扱いしようとするものであり、彼らの多くがつかんでいる事実に基づいた情報からは大きくかけ離れているため、ある種のデマと化している」(Browkaw)

大体自分たちマスコミも同じように風評被害をより強大な影響力を以てばらまいているという点を一旦脇において:p。

いわゆるブロガーコミュニティはそろそろ一般社会の縮図になりつつある(*1)ので、このような状況になって行くのは必然かなと。
スケールフリー構造にがっちりバインドされていきます。

そうすると、ブロガーコミュニティはジャーナリズムだ(ジャーナリズムの定義もよく分からないでいますが^^;)、と言うよりは、総体で見るなら普通に「世論」でしかなくなっていくと思われます。公園談義が目に見えるようになっただけ。
ただ、公園談義と違って、ちょっとしたことで急速な広まりがあることが懸念されることで、マスコミを脅かす世論誘発装置というわけです。確かに集団成極化が発生した結果として上記引用のようなことになったとしたらよいことではないと思いますが、消費者の立場からすると、今まではマスコミがやっていたことなのでその点においては何も変わらない。マスコミにとってはアンコントローラブルは脅威ですが。そして利点は言わずもがなですが、必ず両側面の見方が提供されることで、マスコミはなかなかそういうことをしてくれません。こうなると普及に歯止めがかからないですよねぇ(*2)。

だからと言って世論だけではどうしようもないのでマスコミを含むジャーナリストは必要なわけですが。

(批判を受ける)マスコミは単に今まで強権で封殺してきた批判(*3)が表ざたになってきただけであって、大半は本来されるべき批判を受けていると捉えるべきものと思います。相手を攻撃したり今までのように世論構築に躍起になるのではなくて、自身の潔白さを誠実にアピールしてほしいなぁ、と思います。


木村剛さんのところでは最近よく「ブログ→ジャーナリズム」に関する話題がされています。私は今のところブロガーコミュニティは「世論そのもの」に落ちつくと考えていますが、ブロガーの中にはまさしく世論を率先するような人や「ジャーナリスト」も実際にいるし今後も増えるので、そういう人を見つけて集積していくことができれば、単なる世論とは一線を画したものになるのかもしれません。ただ、やっぱりスケールフリーということで人が集まると「一マスコミ」に成り下がりやすいので、そうならないようにするにはトップの精神力が問われそうです(頑張ってくださいー^^/)。


*1:もちろん黎明期はそうでもないわけです。
*2:今は簡単になったとはいえまだ面倒であるが故に、実際に書き続ける人の比率は低いですが、下手したら普段の独り言を何の意識もなく公開できるようになったりするかもしれないのですから。普通にしゃべるだけで世の中のどこかから返事が返ってくるような世の中もありえますね。見せたくないことは見せなくできるのは当然として。消費者の側が「世論」は見たくない、「ジャーナル(?)」を見たいんだ、ということになれば抑制がかかりそうです。実際そういう声はありますね。google にブログが引っかかってうざい、みたいな。さてどうなることやら。
*3:「公園」ではやっぱり批判されていたわけですが、それを世論と思わせないように振舞い続けてきた。

参考:はてなダイアリー - スケールフリーネットワーク

P.S.
ところで、2ch も同じように世論のようでいて世論誘発装置のようでもあるのですが、いずれの側面においても(当分は)ブログの方が高い効果を示すように思います。ブログは分散しているので 2ch という場所に行かなくても頻繁に目に付きますしね。

以前、以下のような記事を書きました。
有名人のネット参入障壁の低下はやっと始まろうとしているかという程度

で、隊長のエントリで「ラジオ業界」について触れられていて、やはりラジオ→blog という流れは難しいという結論。
打って変わってこういうお話が。

週刊!木村剛: 「週刊!木村剛」がラジオに進出!?[BLOG of the Week]

すごく共感。週刊!木村剛はまさしくラジオ番組になっています。

余談ですが、最近オーディオのチープな車に乗る機会が多く、なんともなしにラジオを流しているのですが、結構面白いものだな、と思いました。別に昔から大きく変わったわけではありません。リスナーからの FAX(今は電子メールが主体になっているところは変化ですが)をピックアップして、読んで、それに対して色紙などのちょっとしたプレゼントを送るというものが多いです。
昔は自分が参加してもいなくて(参加する気はもともとなかった)、他人同士の特別に面白いわけでも無い話を聞いているようなものであり、わざわざ聞くものでもない、という印象でした。
今聞くと、そうやって楽しそうにしているところがほほえましい感じがして、以外と心地よいのです。つまり、単に自分の意識が変わっただけですが^^;。我ながらこういうときにうまく歳を取ったと自画自賛してしまう。

話を戻して、ラジオ→blog が難しいのは、反応の全てが読者に見えてしまうことにあります。ラジオでは都合の悪いことは放送しなければいいですから。では、上記での週刊!木村剛はどうか?「反応の全てが読者に見えてしまう」にもかかわらず、好調です。

私は先の記事で、

木村さんのうまさは読者の反応のピックアップの仕方にあると思うんですが、あれを真似できる人は少ないだろうなぁ…。

と書きましたが、何のことはない、ラジオの DJ は大抵そういうことをやっているわけです。ただ、それぞれの意見の文脈を、当人の思惑をできるだけ損ねず(*)、反論を完全無視もせず、自分の文脈に繋げる技術はやはり並大抵では無いのですが。
*:それでも「自分の言いたいように受け取ってもらえなかった」といった反応はたまに見ますしね。でもラジオもそんなもんだし木村さんはその点下手な DJ よりはよっぽどうまいし。

blog→ラジオは、blog 上で一定のコミュニティ化が成功したという実績がありさえすれば、逆と比べてよっぽどスムーズに行きそうです。木村さん以外ではラジオ向きなものはすぐには挙げることができませんが^^;。

続きの記事です。

はぁ…ここにも書いたけどやっぱり他の方の記事を引っ張ってきてちろっと書くのは楽だわ^^;。blog 続け辛いと思ったときは、休むのもいいですがそういう活動で気楽にちょっとした意見表明するのもいいと思います。
(追記)それをするには AutoAnchor がお薦めです。

自分の言いたいことを理路整然と作り上げて記事にする人は尊敬~。なんて言ってもそれを厳密に実践している人は本当に少ないですが。というか他からの影響を受けないで湧き出てきた論なんて全体の何パーセントだか。ほとんど(というかおそらく全て)の論は何らかの情報ソースに依存するんだし。で、当然ソースの貴重さや、そこに乗せる持論の貴重さなどが価値になるわけですが。

何が言いたいかというと、仮に持論自体の価値が同程度だった(持論の無い場合が典型か^^;)場合、結びつけられたソースの価値がその記事全体の価値に影響すると思われるんですが(※)、「ネットで見つけたもの」にコメントするのと「リアルで見つけたもの」にコメントすることの価値の差は永遠に縮まらない壁はあれど、だんだん減っていくだろうなぁ、ってこと。

今は貴重な体験に基づいて話すことは貴重だし、ネットで見つけた情報は永遠にその域には達しないでしょうけれど、ネットで情報を見つけることの難易度も、「リアル体験」に近いものになっていくかも、と。

まぁ思い付いただけだけど。少なくとも、ネット上で貴重な情報を見つけたりする人の価値は今後もっと上がっていきますよ。全員がそれをしちゃうとこうなっちゃうわけですが^^;。
はてなダイアリー - 恐がり - 模倣犯:陰謀史観的ブログ観測

向いてる人と向いてない人がいるだろうなぁ…。でも「向いてる」というより自分が楽しいかが全てなわけだけど。そして両方に向いてる人も(得てして)多かったり^^;。創作できる人すらも無意識に「clip が楽しい」と感じるような環境になっているのだとしたら、それもまた、多様性のもたらす罪の一つになるわけですが…。

※持論が無い場合、「他人の記事の価値で自分の記事の価値が決まる」わけですが、それが鼻持ちならないという方も少なからずいらっしゃるようで。「紹介」の価値はありませんか?そうですか…。ってのは冗談ですが、既に見た記事の紹介が溢れるのはその人にとっては「ノイズ」ではありますが、全体からすればそんなことはないです。はっ!!そういうフィルタを作ればいいんじゃないか…。

 (1) 浴びている情報量が圧倒的に多い  (2) マルチタスキングが当たり前である  (3) 情報を人と同時にあるいは人よりも早く得ることに強いモチベーションがある  「リンクonlyブログ群」も、似た特徴を持っているように見える。

似た特徴はありますが、その特徴(3)は個人ニュースサイトというよりも、それを好んで見に来る人達にあると思うです。 個人ニュースサイトの方達は、自身が、というよりそれを見に来る人達のためにボランティア的にやっていらっしゃると思います。つまり、比較的多くの方のモチベーションは「多くの閲覧者を確保したい」という方に向いていると思っています。

(1)(2)は世代に関係なく、時代としてそうだと思いますが^^;。そして、(1)(2)があるから個人ニュースサイトという文化(需要というべきか)が出来上がってきた、と。
(3)は、その傾向が本当にあるのかどうか私にはわからないです。いや、あるのは確かなのですが、それは今に始まったことではないというだけのことではないかという気がしてならないわけですが。

ここまでは分析、以下は主観。

私は個人ニュースサイトのようなものは非常に重要であると思っています。まさしく(1)(2)な世の中、こういう方たちがいないと時間が不足しまくりですし。

私のところの記事もいくつか紹介していただけたことがありますが、紹介いただけたということ自体が純粋に嬉しかったですし、それによってとにかく様々な目が流入したことも嬉しかったです。

しかしもちろん違和感のようなものも感じます。自分の思惑とは異なる記事だけにアクセスが集中することや、見にこられた方の反応が、自分の意図どころか紹介された方の紹介意図とも異なっているようなケースです。後者については、元の情報が「タイトルとリンクとそのニュースサイトの性格だけ」ということが見に来てくださる方の印象にそこはかとなく影響しているかもしれませんね^^;。まぁでも、読まれ方については受け入れるしかありませんです。

別の話ですが、個人ニュースサイトを提供している人も(1)(2)には悩まされているわけで、これを改善することは急務と思っていたりするわけです。

とりあえず、

 正直に言うと、他サイトへのリンクだけ並べるブログを書いていくのがなぜ面白いのか、私にはよくわからない。(すみません。)

については、「閲覧者の役に立つ/閲覧者が楽しめるネタを提供すること」が面白いのですっ、とお答えしますです^^;。自分も「うなずき系」を目指しておいらクリップを始めたわけで。まぁこれは自分のためという側面が強いので旬は無視してますけど。

単純に、スポンサー周りが色濃く反映するタイプのサイトはインタラクティブ性を持たせることに難色を示される。叩かれたり煽られたりすると製品イメージが悪くなって広告効果どころではないからだ。一方で、ネット媒体というものはインタラクティブ性がないと面白くも何ともないのだから、どうも相性が悪いのかも知れない。ラジオの方面とかならBLOGあんのかなと思って調べたが、コミュニティメディアへ脱皮を図ろうとしているラジオでさえあまりBLOGは使われていないらしい。

そうでしょうねぇ。

木村剛さんのようにインタラクティブ性を自分にとってプラスに働かせるのはめちゃくちゃ難しいしめんどくさいし、リスクは目立つのに効果はそこまででもないんだから。新規参入はまだまだですね。木村さんが blog 広告塔(有名人 blog の真の成功例)になり、例のポジティブキャンペーンが業界を触発できれば可能性があがるかもですけど。木村さんのうまさは読者の反応のピックアップの仕方にあると思うんですが、あれを真似できる人は少ないだろうなぁ…。

だいたい、広告にインタラクティブ性がただ存在するだけで面白くなるわけでも無いので、インタラクティブ性があってこそといえる面白いコンテンツをある程度継続的に出さないとブレイクしないわけで。blog で毎日写真とかその日したことだけ載せてても、インタラクティブ性は広告主の期待ほどは活かせませんねぇ。そもそもそれだと書き手側のモチベーションも続きにくいし。エンドユーザ(閲覧者)が今の20-100倍くらいに増えて、ちょっと書くだけでも目に見えて広告効果が出るようになるなら、飽きっぽい人でも仕事として割り切ってできるかもですが、閲覧者の増加と同程度の比率で注目に値する書き手も増えるのだとしたら、結局自分が本当に見る価値ある情報を出していない限りは、自分のところを見続けてくれるユーザ数はそれほど増えないだろうと思うし。
下手にゴーストライター使って特徴的なことを書いてしまうと、テレビなどでの振る舞いとのギャップが目立つし。

参入した当人の知名度/イメージ向上にはそれほど貢献しなかったかもしれませんが、blog の知名度向上には役立ちましたね~^^;。近いうちに blog を閲覧/活用する層がもっともっと拡大して、その上で考えられているリスクがそれほどではないと思われるようになり、もう少し言いたいことがいえるようになる、ってことをとりあえず期待しますと言って締めくくっておこっと^^;。

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