この記事から派生する「ジョーシキとは?」も興味深いんですが、その前に知らないほうが幸せか?の関連を。
私は「知らないほうが幸せなことなどない」と考えるような人ではありますが、「関わらない方が幸せなことはいっぱいある」と思っているわけです。
知ったことで責任が発生するわけではない(※)が、関わる、言い換えると自分から何らかのアクションを起こしてしまった場合、それに対する責任は絶対に存在します。以降、ネット界隈で例示しますが、ネット以外でも当てはまるでしょう。
フレーミングに対して何らかのコメントを入れること、これは当人達に見える場所でなかったとしても、Web 等の不特定他者が知り得る場所で行った場合は、そのフレームに参加したとみなされても仕方がありません。なぜなら、そのコメントに対していつ当事者を含む他者からの言及があるか解らないのですから。
インターネットで「陰口」は叩けないのです。注:リンク先記事は「陰口」を、当人に見えない場所での「中傷」と定義しています。こっちの記事では批判か中傷かの区別はしていませんが、大意は汲んでくださいませ^^;。
そして、そうやって返ってきた反応に対してどうするかを考える時間が有意義か否かが、当人の幸福観によって変わってきます。
また、blog などでいろんな人の赤裸々や心の闇を見つけたりした時、当人に対して何かコメントをすることはどうでしょう?これは結構責任を感じる人も多いのではないでしょうか。その人の幸福を(当人としては)願うコメントを出してしまったばっかりに、あり体に言えば後始末を余儀なくされる可能性、またそうせざるを得なくなった場合に自分は幸福ではないと感じるケース。
ずれてるけど関連している議論が「儀礼的無関心」ですかね。
私はいずれの場合も関わったことが幸福かはケースバイケースとしか言えませんが^^;。後悔はしない人なので、もし特殊な人と関わってしまっても不幸とは考えませんが、関わらない方が相手にとって幸福だったなと思う場合は、「あぁ、しまったなぁ」と思ったりはします。
上記はどちらかというとネガティブなコメントを出すケースについてですが、たとえそうでなくても、相手がどんな反応をしてくるかは予測できないということで、関わることで不幸になることを恐れてコミュニケーションを始めたがらない人も多数いると思います。
じゃぁ、「関わられることの不幸」はどうでしょう?自分の blog への招かれざる客、ですか。まぁ、自分が来て欲しくないと思っている類いの人がやってきて幸福なはずがないわけですが^^;。これは私としては、「来て欲しくないと思うな」と言いたい所(自分はそうだし)ですが。私は誰かが自分に関わろうとすることは、ちゃんと自分への言及を伴っているなら如何なるケースにおいても幸福と考えるのですが、ネガティブな関わられ方だけは嫌うとか、たとえポジティブであってもつまらない関わられ方を嫌うというほうが普通の感覚だろうとも思うので、自分から誰かに関わるケースにおいてはそうとは限らないというのが実情ですね。
まぁ、これって、表題の「関わらない方が幸せか?」の立場を変えただけの話で、「相手は関わられることを幸せと思うか?」という問いなわけですが。もう一つ、「自分が関わったことによって相手が幸福や不孝を感じることが自分にとって幸せか?」とも言い換えられますか。
とりあえず問題提起レベルで。誰か整理してくれないかなぁ、なんて^^;。
※実際には、知っていることで責任が発生するケースもあります。「未必の故意」です。知っているにもかかわらず、すべきこと/やめるべきことをしなかったという奴ですね。また、「過失」というのがあります。こちらは、知らなかった場合でも責任が追及されます。「過失」は「知ってしまったせい」という相関が無いので除外されますが、「未必の故意」は知っていたか知らなかったかが関係してきます。でも、これにあてはまるケースは「知」全体からみると希と思います。もちろん「無知に対する責任」はまた話が違いますが。
