blog: 2004年6月アーカイブ

この記事から派生する「ジョーシキとは?」も興味深いんですが、その前に知らないほうが幸せか?の関連を。

私は「知らないほうが幸せなことなどない」と考えるような人ではありますが、「関わらない方が幸せなことはいっぱいある」と思っているわけです。

知ったことで責任が発生するわけではない(※)が、関わる、言い換えると自分から何らかのアクションを起こしてしまった場合、それに対する責任は絶対に存在します。以降、ネット界隈で例示しますが、ネット以外でも当てはまるでしょう。

フレーミングに対して何らかのコメントを入れること、これは当人達に見える場所でなかったとしても、Web 等の不特定他者が知り得る場所で行った場合は、そのフレームに参加したとみなされても仕方がありません。なぜなら、そのコメントに対していつ当事者を含む他者からの言及があるか解らないのですから。
インターネットで「陰口」は叩けないのです。注:リンク先記事は「陰口」を、当人に見えない場所での「中傷」と定義しています。こっちの記事では批判か中傷かの区別はしていませんが、大意は汲んでくださいませ^^;。

そして、そうやって返ってきた反応に対してどうするかを考える時間が有意義か否かが、当人の幸福観によって変わってきます。

また、blog などでいろんな人の赤裸々や心の闇を見つけたりした時、当人に対して何かコメントをすることはどうでしょう?これは結構責任を感じる人も多いのではないでしょうか。その人の幸福を(当人としては)願うコメントを出してしまったばっかりに、あり体に言えば後始末を余儀なくされる可能性、またそうせざるを得なくなった場合に自分は幸福ではないと感じるケース。
ずれてるけど関連している議論が「儀礼的無関心」ですかね。

私はいずれの場合も関わったことが幸福かはケースバイケースとしか言えませんが^^;。後悔はしない人なので、もし特殊な人と関わってしまっても不幸とは考えませんが、関わらない方が相手にとって幸福だったなと思う場合は、「あぁ、しまったなぁ」と思ったりはします。

上記はどちらかというとネガティブなコメントを出すケースについてですが、たとえそうでなくても、相手がどんな反応をしてくるかは予測できないということで、関わることで不幸になることを恐れてコミュニケーションを始めたがらない人も多数いると思います。

じゃぁ、「関わられることの不幸」はどうでしょう?自分の blog への招かれざる客、ですか。まぁ、自分が来て欲しくないと思っている類いの人がやってきて幸福なはずがないわけですが^^;。これは私としては、「来て欲しくないと思うな」と言いたい所(自分はそうだし)ですが。私は誰かが自分に関わろうとすることは、ちゃんと自分への言及を伴っているなら如何なるケースにおいても幸福と考えるのですが、ネガティブな関わられ方だけは嫌うとか、たとえポジティブであってもつまらない関わられ方を嫌うというほうが普通の感覚だろうとも思うので、自分から誰かに関わるケースにおいてはそうとは限らないというのが実情ですね。

まぁ、これって、表題の「関わらない方が幸せか?」の立場を変えただけの話で、「相手は関わられることを幸せと思うか?」という問いなわけですが。もう一つ、「自分が関わったことによって相手が幸福や不孝を感じることが自分にとって幸せか?」とも言い換えられますか。

とりあえず問題提起レベルで。誰か整理してくれないかなぁ、なんて^^;。

※実際には、知っていることで責任が発生するケースもあります。「未必の故意」です。知っているにもかかわらず、すべきこと/やめるべきことをしなかったという奴ですね。また、「過失」というのがあります。こちらは、知らなかった場合でも責任が追及されます。「過失」は「知ってしまったせい」という相関が無いので除外されますが、「未必の故意」は知っていたか知らなかったかが関係してきます。でも、これにあてはまるケースは「知」全体からみると希と思います。もちろん「無知に対する責任」はまた話が違いますが。

ネット保健室

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「話を聞いてくれる人に相談を持ちかけたい」という保健室があれば…

おおっ、そうだったのかっ!! わたしゃ保健室の利用経験がほとんどないですが、二昔ほど前のドラマとかでは保健室のシーンはよくあった気がします。 で、上記記事ではネット上に(おそらく匿名の駆け込み相談も許容する)いわば井戸端会議所を作るといった話題なのですが、なるほどそれって保健室の主要な役割だったのかぁ、みたいな^^;。

この場合の保健室って、たぶん先生一人だけではなくて、先生と、そこに集まる数人程度のゆるい繋がりの常連と、駆け込む人、みたいな関係が構築されることになるんですかね。常連の繋がりやそこへの思いいれが強すぎると単なる蛸壺だし、先生がワンマンだったり主義主張が強いとそれは保健室ではないし、といった微妙なラインがあるような気がします。先生は権力ではなく人望であることも、か。

保健室ってくらいだから、やっぱりメンタルヘルス系を想像しちゃいますかね^^;。それ系以外で保健室モデルになっているところってありますかねぇ?木村剛さんのところなんかはどうなんでしょう?と言ってみるテスト

また、インターネットの中に現実社会、特に国家の法や政令、が関わりを持つようになってきたことで、それに対する反応などは、コミュニティを二分する可能性があります。 そのような大規模な対立が生じた場合の解決策が確立されてません。この手法が確立された時に、ネットは第三世代に入るのではないでしょうか? 現在は、そのような争いが生じつつあるが解決手法が存在しない。そういう点で2.5世代ではないだろうか?そのように思えます。

いつも興味深い文章を提供されている Unforgettable Days さんです。

(人をグループ化する意味の)世代論にはあまり興味が無いのですが、ここで述べられているのはインターネット社会自体の成長段階についてですので興味あり、です^^;。

大規模な対立構造になると、どうしても味方が敵状態になってどうにも収まらなくなるので、現状の誰もが意見を言いあえる環境ではそれこそ内紛の嵐になりそうな予感はします。というか、なってますけど^^;。

解決方法…結局、物事を決める場面においては誰もが意見をできる状態ではだめなのだろうと思いますね。だから blog は議論に向かないわけで。

きっと、ネット国会/ネット議員制度が出てくるかな^^;;。

そういえば、セキュリティ関係のコミュニティがオープンであると、不審者の排除が出来ない=ホワイトを保てないというテーマが話題になってますね。Winny の件も問題の質は違えど、メタレベルでは関連するかも。そろそろオープン/フリーの限界が垣間見える段階でしょうか…。

これまでサブカル的に扱われがちだったネットの世界とリアルの社会との垣根を低くできる。そうなれば、ネットの世界とリアルの社会の間でポジティブな相乗効果を期待できるんじゃないかと夢想しているのです。

木村さんならきっと一定以上の動きをもたらすことができると思います。

これまでインターネットでは技術系の知識人が目立っていたと勝手に感じています。
実際には他分野の知識人も情報発信はしていましたが、私のような技術オタにはなかなかその情報に触れる機会が無かったのです。私がまさか木村剛さんという人について興味を持つとはって感じです^^;。

これは blog ならではだったと言えるかもしれません。blog ではカテゴリごちゃまぜの新着リストがあったり、分野を問わずに話題が伝搬していく性質があり、興味の中心に無い話題が目に入る機会が個人的には過去より増大している気がしています。技術に疎い他分野の知識人も情報発信がしやすくなったということももちろんあると思います。

この段階でネット界隈では動きが既に出てきているわけですが、まだリアルワールドに働きかけるには到っていないのが現状。そこを変えようというのが木村さんの野望です。この変化には仮想世界での有名人の力だけではどうにもならない壁があります。また、リアルワールドの有名人が働きかけたとしても、一時的なニュースで終りがちです。
これが実現されるためのキーワードは「継続」、そしてそれが当たり前と世の中に認識させることなのだと思います。

そんなことができる人間はそうそういません。木村さんといえどもとんでもなく難しいことと思います。
しかし、今の木村さんのモチベーションを見ていると、期待させられますよね。万が一尻すぼみになったとしても、大いなる挑戦であったとして将来の糧になります。「無駄なことを」とか「もっと他にできることがあるだろう」みたいな政治批判みたいな批判も出るかもしれませんが、今木村さんがやりたいと思っていることを邪魔することに意義がない、と私は思います。

やりたいと思っていることをやる時が一番効率良く成果が出せるものです。邪魔が入らず、気持ちよく続いていくことを願います。

ところで、木村さんの blog にかけているコストは相当なものと思います。「投げ銭」くらいは導入してもバチは当たらないのではないか?と思ったりしますです。木村さんの所なら相当フィードバックがありそう^^;。
もしそれがまた成果が出るようなら、今度は blog ビジネルモデルの一つの好例として語り継がれるだろうな、なんてことも。


あと、関連して思っているのはテレビの CM は話題になるのに Web 上の CM が話題になることは極めて少ないこと。
テレビの CM はスイッチを入れさえすれば強制的に見せられることに視聴者の方が慣れているが、Web の広告は能動的に見ようとしないと見れない。そして、テレビの CM のように広告費を投入していないからでしょうけれど、CM そのものが話題になるようなインパクトのあるものが作られない、作っても関心を持った人にしか見てもらえない。
興味の無いことでも目に入っているうちに興味が出てくるというのがプロモーションの鍵でしょうけれど、Web 広告はまだそのあたりを解決できていないと思うわけです。

目ざわりでない程度に関心事と無関係な情報が流れ、それを読み流しているうちに、ふと興味を持つ、という流れが blog に期待できるかもしれないな、と思ったりします。

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