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「寄生獣」ハリウッドで映画化
ついにきましたか。
人間という「種」の生い立ちを考えて、また日常に戻ってくる
なんだ、ほとんど可能性0じゃないか
この辺に書いたくらいで、私的に読み物(つまり漫画に限らず)として五指に入る作品。
こりゃさすがに(ほとんど映画を見ないおいらでも)見ないとだよなぁ。電車男は見てないけど。デビルマンみたいになったたりして^^;。
いったいどの部分にフォーカスを当てるかが気になる。あの時代だからこそのエコロジーの観点なのか、戦い、なのか。もちろん根幹にある、「人間は愚かである。しかし愛さざるを得ない」といった点は何とか組み入れて欲しいところ。
犯罪者は出番あるだろうか…。やっぱ二時間やそこらでは表現できないよねぇ…。
もう一つGairon2003-bodyから。気になって書き出したら長くなったので別記事に。
資料中に
カルト集団の特徴
教祖・教義の絶対化と依存・服従の関係
という言い方がされていて、「絶対化?」と思った。絶対視することを絶対化と呼んだりもするんだろう。で、この反対語として「相対化」という言い方をする人がいるんだろうけれど、それは変だよ、と思うので、「絶対化」という言葉は好ましくないのではないかと思った。何が変かって、ここでの「絶対」は「これに変わるものなし」「なにがなんでも」という意味での(確度における)「絶対」であって、「相対」という言葉の持つ意味は「別のものとの比較に基づく位置づけ」とでも言ったところであり、「確かさ」というもともと絶対的基準が今だ存在しない概念に対する反対語にはなりえないと思う。いや、なって欲しくないと思う。
まぁ「絶対視」と書いたところで「相対視」という言葉は使われちゃうわけだけど-_-。相対視という言葉は意味が取れるのでありだと思うけれど、やはり「絶対視」の反対の意味ではないと思う。
珍しく、図示してみる。

「確かさ」と書いたけど「確かさ最高」時の「絶対」は主観であって、右側の絶対/相対とは明らかに違うし、主観であるところの確かさが最高で無い場合の呼び方は特に存在しないと思う。何にしろまったくベクトルが違う。
あるいは「絶対」という言葉のほうが誤解なんだろうか?「確かさ」という尺度で「絶対」を使うようになってしまったことが誤り始め(起源は調べてないです_o_)。まぁそんな気はする。
何でこんなことが気になるかというと、技術系以外で用いられる「相対」という言葉の意味がいつも不明瞭で、文章の意味が解りにくいから。相対化って何だ?でも同じようなことを書いています。
ディレクトリの奥底にしまって、ごくたまに密かに見るような何かが無残に平坦に現れるようになったら、社会を揺るがす大問題だと思う…。
この文章を読んでみると、大和の出撃を無謀とする人びとにはすべて、それを無謀と断ずるに至る細かいデータ、すなわち明確な根拠がある。だが一方、当然とする方の主張はそういったデータ乃至根拠は全くなく、その正当性の根拠は専ら「空気」なのである。従ってここでも、あらゆる議論は最後には「空気」で決められる。(P16)
(若干元の文脈から離れた連想ですが)2ちゃんねるですらそうですからねぇ。
紹介されている本は面白そうです。
この文脈での「空気」は「作り出されたタブー」といったところでしょうか。
…ま、やっぱり日本特有でもないでしょうね。
正当な論理であっても、それ自体、あるいはその主張/こだわりの表現がその場の多数派or強権者の気分(利権もだけど)を害すものであると、結構な確率で跳ねられるんでしょう。
相手の気分を損ねず論理を伝え、場を納得させる技術の難しさを痛感します。
感情の人を論理で動かすのは不可能ですが、動かなくてもいい、言っていることを理解してさえくれれば、と思っていてもそれすら相当に難しい、と。
あとさらに関連して、やっぱりコミュニティには教祖が必要なのかも、と最近思いつつあります。リーダーではなく教祖、です。
自分は教祖にはなりたくないんですが、皆が対等の立場のコミュニティは意思決定力が極めて弱く、前に進みにくい、と。誰かによる「よしこれでいこう、いいよね」といった形で前に進むわけですが、それを言う人はなんだかんだリーダー的資質を持っており、そしてそれで皆が付いてこれるならば、教祖としての資質も持っていると言えます。
おそらく最も問題なのは、皆が互いの機嫌を伺っている状態ではないかなぁ、と。で、それって空気を優先させているが故だったりするんですけどね…。まぁ大抵の(伸びる)コミュニティではなんだかんだ引っ張っていく人が出来上がっていくものですが
なので、空気を壊してでも論理を述べる場面が必要になるんですが、論理を説得力を持って伝える能力(*)はもっともっと勉強していかないといけないなぁ、と思いました、まる
*:ただ単に正しいというだけのものではなく、感情の生物である人間の行動を変えるに値する説得力。これはつまり論理自体の正当性というより、教祖のやるような、心を動かす能力になってしまうわけ。当然そうやって導いた先が正当な論理に基づいていないと似非宗教になる。片手落ちが多いわけですが。
後半の文章は「空気」と「馴れ合い」が同義になってるな…。「空気」と「馴れ合い」の違いについても考えてみたいところ。
(追記)「空気」の研究の書評より。
有名な著作なので、これと両極端の著作をあげてみよう。
宮本常一「忘れられた日本人」。この本では、ある村の寄り合いで
いつまでも主題のまわりのまわりをぐるぐるまわりつづける話あいの
様子が描かれている。だれも致命的に痛手を負わないような機制が用意
されている事に、日本の古層を宮本は見ているのだ。
ここを読んで、上に書いた「…ま、やっぱり日本特有でもないでしょうね。」というのが誤解を招く気がしたので早めに弁明。私が日本特有でもないだろう、と思ったのは、当記事に書いたような部分(感情を説得する難しさ関連)であって、日本人が「空気」というか「場の流れ」とでもいうべきものを重視する傾向があるらしい、とは思っています。
(追記)
私、essa さんの文章を全て読む前に反応していたので、essa さんの文章と、「空気の研究」、および「忘れられた日本人」を全部読んでからもう一度感想を書こうと思います。結構後になるだろうけれど-_-。少しだけ部分に反応すると、私は「丸投げ」は責任を担保しているという意味で重要と思ってます。責任を取らない丸投げは当然批判されるでしょうけど。
DBUnit とかいうのを使って適当にテストケースを書いてテスト実行したら、データベースの中身が空っぽに…-_-。これって XML なり XLS に書いた内容でデータベースを初期化するのねT_T。
前の携帯でおそらく5年以上にわたってとにかく空いた時間にはこればっかりやっていたという成果…。



…何回やってんねん…。
で、以下が本当の成果。



これはそうそう抜けないだろう、と思ってます。
買い換えた機種はろくにカタログも見ずにタダで交換できた V401SA とかいうのだけど、こいつ Java 自体が動かないのでもうこのゲームはできなくなってしまった-_-。
そゆわけで、栄光よ、さらば~^^/~~。
P.S.
写真、新しいほうの携帯で撮ったんだけど、自動フラッシュをオフにできず、難儀した…。
そしてそれを自分宛にメイルしようとしたら、サイズオーバーです、って、おまえ、普通に写メールモードというやつで写真撮ったらメイルで送れないってどういうことよ…。
What You'll Wish You'd Known
「知っておきたかったこと」
最初、どういう意味か分からず、ただ皆がリンクしているのでいい文章なんだろうなと思っていた程度でしたが、読んでみて、なるほど、「高校生のうちに知っておけばよかったなぁと思うこと」ですか。
What You'll Wish You'd Known
こちらでは、他の方に引用された箇所がハイライティングされていてますます興味深いです。それだけ引用したい名文がたくさんある文章ということですね。
私もこれに乗っかって、まだ引用されてない箇所から^^;引用してみます。
書かれている内容は、割と自分が過去にここに書いてきたことと合致してて、そういう意味ではある意味当たり前なことが書いてあるといえるのかもしれないですが、当然すごくまとまっていて、且つ高校生に向かって語りかける調子ですごく読み心地が良いです。
序章ではセルフハンディキャッピングについて書かれています。
彼らがぼくらと同じなんだとしたら、彼らはすごいことを成し遂げるためにものすごい努力をしたってことになる。そう思うのはこわいから、ぼくらは天才というものを信じたがるんだ。ぼくらが怠けている言い訳ができるからね。もし彼らが、魔法のシェークスピア属性やアインシュタイン属性のせいで素晴らしいことを成し遂げたんだとすれば、ぼくらが同じくらいすごいことをできなくてもぼくらのせいじゃないことになる。
他人を天才ということにして、自分は天才じゃないからというハンディを課すことをセルフハンディキャッピングと呼びます。
卒業演説方式では、きみはまず20年後にどうなりたいかを決めて、次にそこに至るには今何をすればいい、と考える。ぼくが提案するのは逆に、将来のことは一切決めないでおいて、今ある選択肢を見て、良さそうな選択肢がより増えるものを選ぶってことだ。
目標は敢えて急いで見極める必要はない、と。 人は最も興味を持っていることに対して最もパフォーマンスを発揮できるわけだから、皆本来は最も興味を持ち続けられそうなものを探す人生という旅を歩み進んでいるわけです。人生の早い時期に、興味を持ち続けられると確信できることがあればそれはよいことですが、一長一短あって、確信に至る前に選択肢を広げるために行ってきたことは、場合によっては一心不乱以上に価値があることも多々ありますね~。
たいていの人は、自分がやってることを上手くできるようになりたいと思う。いわゆる現実社会では、この要求はとても強い力なんだ。
この一節はすごく深いと思いました。 上手くできるようにならなければならないという見えざる要求ですか。
そして最後に来るのは「好奇心」で、上に書いた「人は最も興味を持っていることに対して最もパフォーマンスを発揮できる」がこの演説の根底のテーマかな、と思いました。
結びの言葉の
さあ、始めよう。そうすれば、君達は史上初めて、高校の時に時間を無駄にしなかったと言える世代になるかもしれない。
も、いろいろな意味で(単に賛同ではなく)考えさせられます。そして、この演説が高校のお偉いさん方の反発により実施されなかったということも。
自分の方針からしてこういったちょっとしたやり取りで小さい記事をあまり増やしたくなかったりもするのですが、コメントできないところでは仕方ありません^^;。
1. 「BLOG of the Week」において、転載に近い形での掲載を事前に許可するブロガーは、トラックバックにおいて、「投稿」であることを明示する。
2. 「投稿」であることを明示する方法は、(1)タイトルにおいて、投稿:、[投稿]、等と明示する、(2)文章の末尾や追伸において、「これは投稿です」等と明示する、(3)文章中に、投稿であること、もしくは、転載を事前に認可することを書き込む、こととする。
1 は、まぁやっぱりその方が妥当ではあるんだろうなとは思うのですが、2 は受け入れられないというか忘れられるであろうというか、やりたくてもやりにくいと感じる人が多いのではないでしょうか。
本当は(blog of the week への(*))転載許諾の意図がなかった軽い記事でも「これは良い」と判断された証なので引っこ抜きのほうがいいと思うくらいですが(実際掲載された方で不満を述べられている方は見かけないし、自身の記事の転載に対する不満を表明すれば個別に対応を考える、というルールのはずですから)、一応事前許諾を前提に案を出しておきます。
転載許諾専用のトラックバック URL を作ります。非公開の記事として作れば良いのではないでしょうか。(追記あり)
で、個別ページのテンプレートを弄って、記事へのトラックバック URL の下に、その転載許諾意思表明用トラックバック URL も記載して、許諾する方は両方の URL に ping を飛ばしてください、と書いておけば良いのではないでしょうか。
転載許諾の旨を文章で、しかも無関係な第三者にも見える場所で表明するのははばかられる方が多いと推察します。
上記案なら機械的手続きであり、手数が少なく(2行コピーするだけ)、実際に掲載されるまでは第三者には知られることもなく、おまけに掲載許諾された記事を簡単に(サイトオーナー側で)一覧できるというおまけもついてきます。
*:書籍への転載になるとすっぱ抜きでは事後処理がしにくいので話が違ってきます。
philosophical: 何で転載された当人からの異議がないのに揉めてるんだろう? にも書きましたが、リンクではなく転載であるからこその利点もあります。また、事前承諾では隠れた名文を掘り出すのが難しくなります(ただし公平な選択眼があることは前提ですが)。事前承諾というポーズが不可欠だったとしても、明示的な拒否の意思がない人ができる限り許諾できるような方式であるほうが有意義なのは明らかですね。spam ではないのですし。
(追記)
単純に新しい記事として作成してしまうと、「最近のトラックバック」にリスティングされてしまうので、隠し blog を作るのがよいですね。
あと、ずっと固定だとその URL に spam が来易くなるので、定期的に URL を変えるといいですね。その場合その都度テンプレートを書き変えるというのもナンなので、そこはもうひとひねりあったほうがベターですが。
記事を公開するたびに自動的に ping url が二つ生成されるように改造すればベストなんでしょうけどねぇ。
…頑張れば外部からそのサービスを提供することもできるな…と、ふと思ったり…。
(追記)
文脈の説明がない、主にトラックバック先の方への意見に相当する記事は、今後タイトルに[コメント] と記してタイトル一覧から(自分が後で読むときに)読み飛ばす対象としての目印にしようと思います。
週刊!木村剛 powered by ココログ: 「検事の視点」と「弁護士の視点」:ブログはコミュニティだ!
久しぶりに木村さんの記事に関して。準転載に関することは昔コメントしたこともあることですし。
本題の前に。
最近は週刊!木村剛を読みきれません^^;。こんなペースで記事を出されると未読が溜まって読めなくなる人が他にも多く出るのではないかと思ったりするのですが、どうなんでしょう?
あくまでも「参加型」であるから、参加する意識の方なら読み続けると思いますけれど、「読者」にはちょっときついなぁ、と個人的には思ったりします。
まぁそういうことも想定して各記事にコーナー名が書かれているのでしょうけれど…。
で、本題ですが、
なぜ全文引用を繰り返すのか
木村剛氏の「ブロガーとしての資質」を問う――自分のものとして取り込みたがる人々 [絵文録ことのは]04-12/13
あたりが(今回自分がテーマにしようとしている件の)火種ですか。
うーん。ドンキホーテの件はリンクを張れば済むレベルであったとは思いますが、引用が合ってもしかるべき状況であり、別にリンクがないわけでもなし、引用を超えて転載ではあれど、それほど声を大にして言うほどのこととは思えないですねぇ。
当事者がクレームを付けるならともかく。
それでも、「リンクという手段で十分でしょ」と提言するのは当然ありと思いますが(木村さんは単にそのあたりのマナーみたいなものを知らなかったでしょうし)、後者の松永さんの文章は半分はその通りと思いますが半分は言いがかりだなぁ、と。
例えば「批判に対して名指しもせずに慇懃無礼な対応をしている」といった指摘は、私もあぁそうだなぁ、立場を守りたいとはいえそれは逆効果だよなぁなどと納得するのですが(あとプロパガンダめいている点も認識してたけどスルー。読む側がリテラシー向上するしか)、その指摘だけならともかく、タイトルの付け方もそうですが転載の件をメインにして多数の批判的視点ばかりでたたみかけようとしているのがありありと見える文章なので、木村さんの性格を考えると^^;そういう対応がされるのも予想できます。「人格攻撃と混同しないようにお願いしたい。」と一応は書かれてるんですけどねぇ。
「転載」ですが、当時は blog の内容を書籍化するという背景で行われたことであり、BLOG of the Week というコーナーは、書籍を基本的に週刊!木村剛に掲載された文章で構成するという点と、読者の文章もできるだけ掲載したいという点から生まれたルールで、それ自体はさして問題ないと思います。「リンクの価値」はありますが「リンク先が消滅するリスク」もあります。それにリンクを辿る人が引用を読む人の何%かを考えると、転載されているほうが主張を読んで貰える確率は高いということもあり得ます。ただ、今確認したらトラックバック URL の所に注意書きが見えるようになっていないようなのでそれは良くないなぁ、と思いましたけど。
Unforgettable Days: クローズドコミュニティ(仲良しクラブ)へと退化する?週刊!木村剛
を見て思ったのが、UnfogettableDays さんですら、「「任意転載」の問題をどうするか?だけだと思っています。その問題を、現在、転載問題に始まり苦言を呈しているブロガー達が納得できる形に変更すれば良いのです。」とおっしゃるほどに転載問題は重要なんだろうか?と…。
私も上に書いたようにルールを見つけやすくするといった不足点の充実は必要と思いますけど、例えば転載許諾の意思表示という話がありますけど、こういうのってオプトインよりオプトアウトのほうが意外性が出やすいものなので、あくまで仕組みとしては、嫌なら後から拒否できるという現行ルールのほうがいいんですよね…とか。
後は資質、ですか。もうそのあたりは似非評論家の領域なので「どうでもいいやん」というレベルの話ではあります。言うのは自由ですけど^^;。
さて、そのようなわけで、少なくとも「転載」の部分に関しては木村さんが望むようなポジティブコミュニケーションで十分解決できた問題のはずなのに、なんで揉めてるんでしょうね…。
木村さんの対応がまずい方へまずい方へ誘導されているかのような。
木村さんとしてはそれが言いたくて「検事の視点」なる言葉を使ってしまったのでしょうね。
当時思っていたより「煽り耐性がない」というのは他の方も言われていた通り、私も思いますけど、木村さんくらいの反応は「普通の人の反応」だとも思います。まして現実がなにやら大変そうならなおさらですが^^;。
トラックバック削除もそうですが慇懃無礼でいわれるように「批判の時だけリンクもしない」というのは、私は木村さんは批判に誠実に対応する方という認識でいただけにちと悲しいので、その辺は変に工作しないで反論するか放置すればよいと思うのです。木村さん側にそういう問題点があって吹きあがった一件ではありますが、提案を含むか改善を期待するようなぶっちゃけ愛のある批判なのかこき下ろすための批判=非難なのかで対応を変えられたとしても読者はついてくると思います。ただ対応を変えるというのは、基本的に誠実に答えるか無視するか、です。まぁおばかネットワーカーも多いのでたまには皮肉も言いたくなるかもしれませんけど^^;。
あぁ、既にさまざまなツッコミがありますが、トラックバックの削除は spam 以外に対しては一切しないほうがいいと思いますよ。この状況だとなおさら。
