私は前から
さて、私なんぞは前から「マスコミや世間が欲するものは真相ではなく話題である」と思っているし、「マスコミ/世間(この書籍も含めて)で声高に叫ばれることが真実である可能性は極めて低い」と思っているので
こんなふうに言っている通り、嘘やミスリード、誤報も話題になりさえすればありありなのが世の中の常であると思っているのですが、以下の記事あたりを見た時にふともう少し考えてみたくなりました。
間違ってマスに伝えたことをギルド内で批判することはたやすいと思います。でも、自らがそれを糾す際に、マスに選択される形、つまり、面白く、分かりやすく、売れる表現方法の上で語ることができるかというと、できる人は少ないと感じています。古典的には知と修辞学は同居していたはずが、専門家による知の細分化によって、修辞学は知の使い手と分離しがちになっているというのが原因のひとつなのではないでしょうか。 メッセージはコンテクスト内で意味を持つのだとすれば、流通に関わるものが知にコンテクストを与えないといけないとも思います。送り手側が「なんでつまらない本ばかり売れるんだ」と嘆く出版不況があるとしたら、送り手と流通が、良い本をベストセラーランキングへ入れる努力に失敗していることが原因と考えます。
例えば「ゲーム脳」なんかがあれ程批判されているのに売れていたり、それを信用する人たちがいるのは、そういう方達は批判(誤りの指摘)を聞く耳を持たないからではないか?などとぼんやり考えていたりしましたが、これをもう少し突き詰めると以下のような要因があるんでしょうね。
上記引用に習って「マス」「ギルド」として区別して書いてみます。ギルドは例えば「ゲーム脳」を正確な知識で批判できる人たちの集合などですか。もちろん状況によって誰がギルドになるかは変化します
- マスの行動力/能力の問題
- マスが正確な情報を探そうと努力することを放棄している=プッシュ型の情報しか目に入らない
- マスの考え方の問題
- マスが権威の言うことが正しいと思い込みたがる=自分で判断することを嫌う
- ギルドの行動力/能力の問題
- ギルドが正確な情報をキャッチーにアピールできていない=誇大である事が正しい
- ギルドの考え方の問題
- ギルドが正しい情報の頒布を諦めている=内輪で愚痴るだけ
これらは全て改善の余地があるところだと思いますが、じゃぁ自分なら何が出来るだろう?或いはどの点について考えるのが最もコスト対効果が高いのだろう?などとふと思ったのでした。
上記の橋本さんの記事は、アピール方法について述べていらっしゃるわけです。
私は「諦め」の立場ですね。自己責任万歳、ですから^^;。
自分だって「マス」の立場に立つ事はたくさんあります。自分の場合、例えば政治関連などは興味が薄いのでマスメディアのさらに一部分で報じられること以上の情報は頭に入ってきていません。でも、せめて鵜呑みはしないようにはしていますし、確証を得ていない情報について述べる時は慎重な方だと思います(述べないことの方が多いが)。問題は「自分で考えられない病」になるでしょうか。
マスの行動力を高めるのは不可能ですね。現在は情報量が多すぎます。
ギルドはもし現在のマスの状況を憂うのであれば、正確な情報をプッシュ型でマスに伝える努力と、「自分で考えるための具体的手段」をやはりプッシュ型でマスに伝える努力が必要そうです。
はぁ…。考え方の方はやっぱり無理な気がする^^;;。幼少時の教育が鍵という気はしますが。
ということは、やはりもっとも手入れし易そうなことって、橋本さんのおっしゃる、「正確な情報をプッシュ型でマスに伝える努力」なんだな、と。即ち、ギルドの能力が不足しているから現在の状況があるわけで、「マスはどうのこうの」と言える立場じゃないね、って事ですか。そうですねぇ。
実は自分的結論は既に出てたんだろうけど、もしかしたら…などと思って書き始めてみて、やっぱりそうなるのか…という結論になるうだうだ文章でした_o_。
ギルドが(具体的に)どう行動すべきか?というテーマについてはまたいつか考えよう^^;。
(追記)
書き漏らしたというか、頭から抜けていたんですが、マスは正しい情報がたとえ目に入っても、(権威というより)自分に都合のよい言説の方を信じたがる、ということもありますね。これはどうすればいいんだろう…。
