現在は検索で答えらしきページを見つけてそれっきりという web の使い方が当たり前になされています。参考として挙げたページで川俣さんがおっしゃるように「サイトを探す」という行為は相対的にかなり減ってきていると考えられます。
私なんかはマークした優良サイトが多すぎて新しいサイトを見つける行為が減ってしまっていますが^^;。
google や yahoo で先頭に出てきたページの内容を鵜呑みにする人は多数派でしょう(*)。私は調べ物をするときは上位数十ページで目に付くものを比較検討してサイトの信用度/記述の信用度を判断していますが、当たり前のようでいて、実はそういうことをしている人は少数派なのでしょう。携帯なんかだと私だってそんなめんどくさい行為はしないでしょうし。
*:(追記)いや、それ以前にキーワード選別の問題でトップには無関係なページしか出せない人の方が多いかもしれないけど^^;。なんにせよ最初に見つけたページを信用してしまうケースは多そうだ。
そうすると、SEO はプロパガンダに使える、ということになります。
実際、思想に関係するキーワードで検索すると、中立な説明はなかなか見つからず、検索トップに出てくるのはある思想に偏った立場からの説明文だったりします。どういう立場の人が書いたのかを意識しないで拾い読みしていると、簡単に洗脳されそうです。
だから、SEO は布教活動として使えるというわけですか。そうですか。
メディアリテラシーはどうなるかな?もっと腐敗するかな?
技術だけでは基本的に解決不可能な部分だ。中立健全な情報を抽出するシステムは(自分的に)不可能では無いんだけど、そのシステムをユーザが使わなければ話にならないわけで。
参考:
これが新しいインターネット? インターネットは分類されていない答えの溜め池であるか?
この記事を見て「連想」しました。
インターネット知:文脈が読み取れなくなる人々
上と同じく、川俣さんの問題意識に基づくものです。