rec: 2005年5月アーカイブ

求人ぶろぐでも書くかね:p。

自分の会社での現在最も重要な使命は、「自分の考えていることをいかに理解してもらい、他のみんなの思いをいかに尊重できるか」です。先日書いたようにこの会社においてはどんな仕事をしているか、責任が果たせているか、以上に重要なのではないかとさえ思います(とはいえ責任を果たすのは当然前提なのですが)。

そのために、会社では ML を用います。そして、自分がどう考えているかを自分なりの表現力で書き続けます。
10 人を超えると、各自が自分語りを ML で始めると苦痛も現れるでしょうけれど、4,5 人なら全然苦になりません(皆がそう思っているかまでは確証はない:p)。

だから、自分の信念のようなことを社内 ML に書いたりします。ここよりももっと奥深い、特定個人に関することまで含めて。
これができる会社はそうそうないだろうと思っています。

かなり無茶をしている、とも言えますが、それによる効果は、たまに出向する大き目の企業と比べると歴然です。
遠慮→陰口の王道はどこへ行ってみても同じように存在していますが、うちはこれらをなくせそうです。というか、運営の前提として、「遠慮なくものを言える空気」を念頭に置いていると思っています。あ、世間ではそれをナレッジマネジメントといったりするんでしたっけ?

不満があれば変える余地があります。そういう制度です。この手の自由を保障しようという運営のネックになるのが法律であったりするのが皮肉ではありますが^^^;。皆さんの会社ではどうでしょう?言えますか?言えないとしたら、なぜですか?自分も知りたいです。

少し話をずらしますが、自分の考えと会社のビジョンにずれを感じた場合、退職するのも自由であると思います。最低限の責任は果たすべきですが、それより何より、「いろいろな経験をしてみて、戻ってきたくなったら戻ってこれるよ」という環境を維持したい。これが今日飲みつつ思ったおいらのビジョンかもしれない。

大体、自分の思いを知ってももらえない会社にいて幸せなのかよ!!、とかね。
おっと、自分の表現力は一生かけて精進するしかないのよ。当然ながら。

おっと、求人ブログだった:p。
現在キュートはこういう理念に賛同できる人を増やしたいと思いつつあります(公式にはまだ何も言ってない^^;)。こんな会社もあり、きちんと収益を上げていたりもします(自分で売上を上げるのが前提ではありますが)。今のところ必死なわけでもないですが、気分が求人ブログなので、もうしばらく自分語り、するかもしれません_o_。
# とか言いつつ募集要項なんて書きやしないあたりがあくどい:p。さて…。

(続き)

さて、ビジョンを「夢」と置き換えたとして、それが会社にとってどれくらい重要かについても私見を書き留めておきます。

夢は会社に限らず重要です。夢は目標/モチベーションの源泉です。
ただ、会社のビジョン/夢と言ってしまうと若干気持ち悪さを感じます。
社長のビジョン=会社のビジョンであるなら問題なく、大抵はそうであると思います。

もし従業員みんなのビジョン=会社のビジョン、となるとどうなんでしょう?

友だちが寄り合って起業した場合は、目的ありきな場合が多いことから、そういうケースもあると思います。
が、その例外を除いたほとんどの場合は、全員が勤め先に同じ夢を持っていることはないのではないかと思います。
もちろん先の述べたとおり、社長のビジョン=会社のビジョンであり、且つ社長のビジョンに共感した従業員みんながその達成に尽力するのは普通の姿です。ここでは従業員に「会社のビジョン」を求めることはできるのか?という疑問です。

答えは分からないですが、現時点では私はとりあえず「なんか違う」感を持ちます。

***

現在私のいるキュートという会社は、完全成果主義というか、個人的に考えるところの「真の成果主義」を採用しています。
自分の上げた売上は自分の報酬に直結します。プラスもマイナスも直接自身の報酬に影響します(ただしマイナスがあっても給与は保証しています)。ある意味フリーと変わらないのですが、会社という枠組みに入っていることにより多大な恩恵を受けているため、この制度はかなり気に入っています。

この制度では、社長という存在がかなり特異なものになります。もちろん社長がビジョンを前面に押し出しても良いのですが、現在はそういう運営はされていません。ある意味企業組織として限界ぎりぎりまで自由が与えられています。当然責任も。
そのような背景にあって、「会社のビジョン」とは何かを考えると大変難しいことになります。

従業員の個々のビジョンの最大公約数が会社のビジョンになるのかもしれません。それである程度具現化したビジョンになりえればそれは楽な運営です。上記の「友達寄り添い起業ベンチャー」と同じです。

しかし、ばらばらな夢を持った個人が集まってできた組織においてはそれは避けたほうがよいであろうと考えています。逆にビジョンの無理な画一化によって何らかの弊害が起こるかもしれません。各自が各自の夢を目指してさまざまなチャレンジをしていく上で、可能性の選択肢を広げ、そして自分の向き不向きを自覚してゆき、夢は続けど自分に適した役割を見つけていったときに、この組織は「具体的なビジョン」に到達するのではないかと思っています。

ちなみに、メタレベルのビジョンは現状でもそこそこ共有されていまして、それは「やりたいことを気持ちよくやれる環境」とでも言ったところでしょうか。なので、そのために具体的にどのような事業展開を(しかも気持ちよく)していくかといったところが、現在全員で考えている「計画」です。

あ、そうそう。こんな運営をしている企業はほとんどないと思うし、この点はかなり誇れる部分であると思ってます。こういう環境への興味と自信がある方がいらっしゃれば、お気軽に声をかけてみてください。

…等と書きつつ、会社からストップがかかればこの記事は消すかもしれません^^;。

ビジョンという言葉が好きではないです。「相対化」のときにも書きましたが、解釈の統一性がないので好きなように使われ、結果的に多義性を持ってしまっている用語は使うのを避けたくなります。

会社のビジョンとはよく言われる言葉と思いますが、これはいったい何者でしょうか?
辞書的には「将来の見通し/未来像」といった意味であり、通常、計画性を持ったものであろうと考えられます。

しかし、計画通りになかなかいかないということもありますが、実際には計画なんて存在しない夢/希望レベルでビジョンと言っちゃうところも多いと思います。

そうすると、ビジョンという言葉を聞いて計画を想定するとしっぺ返しを食うので、最低に合わせて、これは夢でしかない、と考えるほうが合理的ということになります。

つまり、あなたのビジョンは?と聞いても、あなたの夢は?と聞いたときの答えと同じものしか返ってこない可能性がそこそこあり、ここでビジョンという用語を使う意義はほとんどないのではないかと思ったりします。

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