thought: 2004年1月アーカイブ

[Passion For The Future: 赤ちゃん学を知っていますか?―ここまできた新常識]

新生児微笑。産まれたばかりの赤ん坊が眠っている間に微笑する現象。この微笑は一部のサルにも起こるらしいが、本能的なもので、感情の表出というわけではないらしい。この微笑は母親の注意を惹き世話をさせる効果がある。自然の生き残り戦略の上で、遺伝子に組み込まれた仕組みなのだろう。

まさしくそうだと思います。人間の赤ちゃんは他の生物とは違い、長い間親に面倒を見てもらわないと生きていけません。
そんな生態で生き抜くためには、親の気を引く愛らしさも組み込まれた機能として持っていなければ成り立たないわけで。
当然親の側にも赤ちゃんのような形態を他のものより好む、あるいはそれで癒されるという機能が組み込まれているのも解ります。

で、赤ちゃんが他の人を癒す機能が大人になったからといって消えてなくなるわけではないはずだ、とも思います。
一人では生きていけないとはよく言われますが、コミュニケーションを求める、またコミュニケーションによって他人が癒されるというのも、実は本能的な事象かもしれません。

「愛されたい」「愛したい」ですか。

なぜ、そういう気持ちになる or そういう話題が尽きないかというと、人間という生物になっていくうえでの進化の結果なんでしょうね。

で、「自分は人に愛されたいとは思わない」なんて口でいう人だって、実は愛されたいという本能はあり、愛されると喜びを感じちゃうんですね。で、本能として愛されるべく行為を無意識的にすることがある。
逆に他の人を愛するという行為が自分にとっての癒しになっちゃうのも、ただ生存するためには不要だけど、子孫を残すためには必要だからなわけで、なんつーか、笑顔を見るとほっとするとかいうのも、見事だよなぁ、とか思ったり^^;。

そういうふうに、なぜ「愛情」があるのか?とか考えているなら、「話を聞かない男、地図が読めない女」みたいな本もすんなり読めるのよね。最近になって読んだから話題にするけど^^;。
この本に書いてることには、結構女性が拒否反応を示すらしい。
ある人の書評によれば、男性は女性に比べて感性が欠落している部分が多い、ってことが力説されているというのに。

脳に絡めて主張しようとしているために胡散臭い部分もあるけれど、多くは事実を語ってますよねぇ?>読んだ方^^;
もちろん本の冒頭に書かれているとおり、あくまで傾向の話であって、ひとくくりに論じているわけではないわけです。なのに「ひとくくりにするな」みたいな批判が出ているのがなんともですが。

話が飛んだので戻してっと^^;。

そして3ヶ月を過ぎると、目を見て笑うようになる。昔、「イヌに遊んでもらう本」というのを読んだことがある。イヌは、基本的にはみつめあってはいけないらしい。イヌ社会では目と目を長く合わせるのはケンカを売るような行為なのだそうだ。(だから、知らないイヌに真正面から目を見て近づいてはいけない)。他の動物もほとんどそうらしい。そして、この本によると、人間と一部のサルは愛情を持ってみつめあう珍しい例だそうだ。微笑みかけると微笑み返す。
ウチの息子も目を見てこちらが笑うと笑うようになった。興味深いのは、息子の機嫌が悪いとき、あやそうとして笑いながら目をみつめると、なんと、首を曲げて目をそらすのだ。何度続けてもそらす。意図的にやっているのは間違いない。彼としては喉が渇いたとか暑いとか暇だとか、問題が解決されるまでは、笑いたくないのだろう。パワープレイ的なコミュニケーション戦術は、生後5ヶ月で既に始まっているのかと感心した。

あははは。うちの娘ももう3歳ですが、機嫌が悪い時は頑固ですにゃ^^;。
それでも最後には必死に親の機嫌を取ろうとしたりもします。健気なり。

「目を見る」というのが(ほぼ)人間に限られた行為というのは知りませんでした。
興味深いですねぇ。

[ono: それはなぜ起こったか]より、

 原因-結果系は予想ができるし原因究明ができるけど
 刺激-反応系(社会や歴史、コミュニケーションとか)は
 偶然なんだよ

いつも興味深い言葉を紹介してくださっています^^/。

私は、(「心理学化する社会」を読んだこともあり^^;)今の世の中は刺激-反応系のものであってもいつでも「原因化」がされてるなぁ、などと思ってしまいますが^^;。
で、むりやり原因としてこじつけられたり。
でも以前、
[philosophical : 心理学化する社会―なぜ、トラウマと癒しが求められるのか]

原因を求めていろいろ考察すること自体は良いことと思います。責任を求めるのはほどほどがいいけど

こう書いたとおり、原因を求める姿勢は何ら問題無いと思ってるんですよね~。

で、これまた興味深いのが以下です。

企業や学校など組織で、「○○が問題だ、原因を究明しよう」と組織の仕組みやコミュニケーションの問題を取り上げ、トヨタで言われるところの「なぜ?を5回繰り返す」をやってみましょう。
「社長が悪い」「校長が悪い」になります。
確率9割以上。予想可能。

そうですねぇ。なにしろ「組織の責任者」ですから、「社長次第で問題は回避されていたはず」となるのはある意味必然ではあります^^;。
原因追求は何段階もメタ化していくもので、その一区切りの位置が「社長が原因」なわけですが(その先には「文化」「社会」といった方向になる)、そこに至る前にも原因らしきものは沢山ありますしね~。
上記はメタ化を5段階も行えばほぼ「社長」に行き着く、という話ですね^^;。
その何段階かの「原因」のうち、もっとも改善の妥当性がある「原因」を見極める作業というのが人の問題解決力のセンスを向上しますから、やっぱり原因を検討/検証するのは何においても有用ですね。

私的に注意したいのは上記引用にも書いたとおり、そこで見極めた「原因」が唯一と思いこんで「責任追求」に躍起になると、まずい風が吹きはじめる、というところ。

また、「社長が原因」が一区切りの位置にある、というのも興味深くて、そこに行きつく(それ以上メタに追求をしない)ことが多いのは、責任を取れる妥当な根幹であるから、なんですよね~。あぁ社長って可哀想:p。
あぁ、そういえば「社員が悪い」と言った「社長」もいたっけ:p。
でもそこまで行かなくても図太さも無いとほんとにやっていけないでしょうねぇ^^;。

コミュニティは無数にあり、ほぼ全ての人は複数のコミュニティに属しています。
「友達(というより知人)の輪」もコミュニティですから。

単なる友達の輪というだけでなく、何らかの活動主体としてのコミュニティに属している方もいらっしゃることでしょう。
そして、その中には実質的に自分が主メンバーであるコミュニティもあるでしょう。

さて、今はインターネットな時代。興味を表明するとそれについて何らかの実行主体としてのコミュニティが簡単に生まれます。
自分が「これやりたい」と言うだけで、自分が主メンバーとなるコミュニティが生まれる可能性が高くなっています。

意欲/能力ある人ほどたくさんのコミュニティの主要メンバーになってしまって、その時点でもっともモチベーションが注がれた数個以外についてはおろそかになっていくものですね。
他のメンバーが継続して活動してくれていればいいですが、コミュニティの活発さが無くなっていくと、自分のモチベーションもさらに下がっていってしまい、急速な衰退という結果になる、と。

本当に能力のある人は、自分の溢れそうなモチベーションを押さえて、他の人のモチベーションを上げる事のみに注力することが出来るんでしょうけれど、なかなかねぇ…-_-。

格言としては、こうかな。
やりたいことを他人にやりたくさせることができるのが真の能力者

前回は自分が相手の理想に振り回されると将来的に耐えられがたい苦痛になる(かも)という話でした。
もちろん前回も書いたように、相手の望むものと自分の望むものが一致しているなら変わっていけます。

逆の立場になって考えると、相手を変えさせようとする行為はこういうことになりますかね。

自分がなってほしいと思っている人間像を相手に理解させ、さらに相手の目標をその人間像に向かわせる

ただ「こうしろ」「こうしてほしい」と言うだけでは相手は変わりません。

念のため。「理想の人間像」は「自分がなりたいと思っている人間像」と「相手になってほしいと思っている人間像」の二種類について述べています。

前回は「自分がなりたいと思っている人間像」を相手に納得させようという話でした。
当然、「相手になってほしいと思っている人間像」も相手に納得してもらわないと、同じように苦痛が待っています。

さて、そこで考えるべきは、相手の人にどんな人間になってほしいんでしょう?ということです。
果たしてそれは自分が人から要求された時に納得できる人間像でしょうか?

これらのことを常に心がけながら行動すれば、自分の態度は少しずつ変わっていけるのではないかと思って頑張っております^^;。
自分に当てはめた際に、自分が良くても相手は嫌だと思うかもしれないし、自分が嫌でも相手は問題無いと思うかもしれない、ということもあるわけですが。それを察知せよというのはかなりの高望みだと思う。

よく忘れるのでこうやって文章化する機会があってよかったです^^;。
あと、「相手」は最初「パートナー」と書いていたのですが、限定したくないので変えました。

え?私が相手に望むことですか?
そりゃぁ上記のようなことを心に留めてくれることです^^;。
接近戦^^;でなければどんな思想であっても全然意に介さないですけどね。

P.S.
ほんとは「~なら、人を変えることができる」と肯定形にしたかったけれど、今回のは必要条件にすぎず、十分条件ではないのでこういうタイトル。

ふらふらと恋愛系 blog などを見ていた時にふと感じたこと。

好きな人に好かれようとして、相手の好きな人間像を求めて一所懸命になる人がいます。

好きになっちゃったらしょうがない、というのはそうなんだけど、自分を押し殺して一時的に相手の心をこちらに向かせても、メッキはすぐに剥がれます。剥がさないようにずっと努力するのは無理があります。そうするとその相手との関係を保つのは双方にとって苦痛になります。

自分がその人の好みの人間に変われればいい(ただ演じるだけではなく)わけですが、人間が変わるには時間がかかります

誰しも理想の人間像は持っているはずで、それを目指して継続的に何らかの努力はしているはず
今の自分、または自分の目指している人間像を好きになってくれる人が現れるのをゆっくり待つのがよいのではないかと思います。

せめて、自分の目指している人間像の良さを分かってもらう、という形でアピールしたほうがよいなぁ、と。
あるいは、相手の求める人間像の良さを心から認めることができるなら、自分の目指す方向性を変えるのもありです。が、そのための努力をこれから始めるのだから、時間がかかることはお互いが納得しなければなりません。しかも、その新たな方向性への変貌は結局実現しない可能性が高いのが辛いところ。

いずれにせよ、自分の理想とする人間像と相手の求める人間像が一致しなければなりません

ま、こんなんは「恋愛」の次のフェーズかな、という気がしないでもないですけどね^^;。恋愛は大抵衝動的だろうしねぇ…。

媚びてなくて誰にも好かれないなら、それは自分の理想とする人間像が間違っているか、理想に全然近づけていないか、ですね。もちろん好かれる人間になりたくないなら「間違い」ではないですが。

で、こういう話(「媚び続けるのは苦痛」だという話)はサイト運営やらコミュニティ形成なんかにも通じるのよねぇ。こっちの場合は嫌われるようなことも、「話題」となって人気になることもあるけど。一定以上"近づく"といろいろあるもんです^^;。

逆に言うと、「秩序の中からは新しいものは生まれにくい」ってか。
私、話題を発散させるの大好きです:p。
整理整頓もあんまり好きではありません。一度しまい込むと目に入らなくなったり、また片づけなければならないという強迫観念からまた引っ張り出すことを躊躇ったりするので。

雑談してたら面白いことが思い浮かんでも、「さぁ、アイデアを出そう」と言われてなかなか出てこないという経験、ありませんか?

何が言いたいって、きちきちやることがよいとは限らないってことさ:p。

もしかしたら天才かもしれない症候群

すばらしい考察。:)
良い文章ですのでリンク先も読んで下さいねん

ここでの「天才」は、「人より少ない労力でものすごいものが作れてしまう能力」ですね。カリスマ性などとは無関係に。
人から天才といわれる人は数知れずだけど、自称天才ですごい人なんていないよ。
少なくともまだ成果をあげていない段階でそう思っちゃうと既に負け組。
で、上記では、「自分は天才じゃない」と言いつつ、向上への労力を払わないという、「結局は天才と思ってるんでしょ?」な人がいるよねってお話。
はい。います。そして、自分がそうならないように…。

[ono: 吉野家~鋭く変化中!]より。

希望が危機感を上回っていることが変化の条件

すばらしいですね~。私のオリジナルでは無い&オリジナルの出典がどこかはわからないわけですが^^;。

ここでいう「同期」とは(一時的であっても)物事を逐次的に行うこと。当然「非同期」とはばらばらに、あるいは同時にさまざまなことが行われること。昔のコンピュータは CPU(演算装置) も一つしかないし逐次実行しか出来なかったけれど、今は一つのプログラムを実行するために CPU が複数使われるのもあたり前だし、たくさんのコンピュータが連携して巨大なプログラム(システム)を動作させるようになってきている。

完全な非同期では大きな物事は達成できないので、何ヶ所かで同期(待ち合わせ)を行う必要がある。コンピュータ間のやりとりもそうであれば組織で人を扱う場合もそう。情報/状態の整合性が壊れるのを避けるためには同期を頻繁に行うということがされるが、そうすると誰かの作業が終るのを待っているコンピュータ(人)が多数生まれて性能(生産性)が落ちる、というのはコンピュータの世界での常識。

非同期プログラミングにおいては、「同期は最小限に」がキーワード。当然、組織(人の集団)が物事を遂行するにあたっても、「同期は最小限」が効率をよくする。会議の回数と時間は減らそう^^;;。

ただ、コンピュータ(CPU)と違って、人には「意思」がある。誰かの作業を待っている間にも勝手に何かをするし、他の人を待たせていてもしたいことを優先する。そして、その人自身が充足されるなら、指示とは全く異なる、または指示したこと以上の成果を出してくる。

さて、何が言いたいんだ?^^; 思いつきで書き始めたけど、一つはやっぱり「同期は最小限にすべし」は人にも当てはまるってことだね。他の人を待たせる可能性を極限まで減らすわけだし。おっともちろん個人のスケジュールを決定する上でも同期が必要な箇所の見極めは重要だよ。でもって、人の場合は、同期が必要とならない時間が多ければ多いほど、新たなものが生まれる可能性が高まる、と言えるかもね~。

語り口やら趣味やら実績やらの問題で、意見が穿った見方をされたり興味を持たれないことって多いけれど、思想や意見の正当性とは無関係。聞く側は絶対に忘れてはいけない。

もちろん表現する側も、意見に興味をもってもらう努力を怠ってもよいわけではないけれど^^;。

ただ、有名人になると、指摘する人の数も膨大になるので、S/N 比は変化しないとしても有効な指摘と詭弁/屁理屈を見極めるのに掛かるコストは膨大になるのよね…。で、知らない人からの指摘だったり、過去にとんでもない意見を言っていた人からの指摘だったりすると、無視しがち。自分がある程度の権威になっちゃっていると、他の人が萎縮して反論しにくくなるという現象もあったりするので、堂々と反対意見を言えるのはそういう人である比率が高くなると思う。

もちろん個々に反論していく必要はないだろうけれど、意見の正当性の評価をする際には、誰からのものであっても一旦その人の人格と切り離すようにしないとね。

心理学化する社会―なぜ、トラウマと癒しが求められるのか(斎藤 環; PHPエディターズグループ; ISBN: 4569630545)を半分ほど読み中。

前半ははっきりいって私的にはどうでもよかった。今、さまざまなストーリーでトラウマ(過去の心の傷)が使われている理由は単に勧善懲悪が流行らなくなったから、と思ってるし^^;。

で、まだ途中だけど興味深かったのは p76 の「トラウマの結果は予測できない」の部分。

注:引用は書き写しです。あと、また引きの引用にあたります_o_。

精神分析の批判として、故・西丸四方氏が出したユーモラスなたとえ話がある(創元医学新書『異常性格の世界』)。ある子供が戸棚の中の砂糖をなめては、母親に叱られることを繰り返した。その子は将来どういう人間になるだろうか。
  • ある人はのらくら者になった。母親に叱られすぎて、欲望を押え込んでしまう癖が身についたからだ。

  • ある人はサディストになった。叱られすぎて母親や妻に復讐することに喜びを感じるようになったからだ。

  • ある人はマゾヒストになった。叱られる苦痛を耐えているうちに、そこに快楽を見出したからだ。

  • ある人は同性愛者になった。母親を嫌って父親を愛するようになったからだ。

  • ある人はスキーの愛好家になった。砂糖を雪に置き換えたのだ。

  • ある人は仏教が好きになった。砂糖は甘いので音の連想から「尼」が好きになったからだ。

西丸氏は、ざっとこんな語り口で、この子供の将来のバリエーションを一〇通りほども並べてみせる。…

ぷぷぷ。要するに、今に対して過去の特定の事象に因果関係を見出すのは簡単だね、というお話。逆に言うと、今の人格が過去の特定のトラウマにもっとも大きな影響を受けたことを証明するのは不可能に近い、と。

なんというか、原因を求める姿勢も行きすぎるとこう(たとえば上記の最後の例とか:p)なっちゃうんだなぁ、としみじみ思った。

まぁでも原因を求めていろいろ考察すること自体は良いことと思います。責任を求めるのはほどほどがいいけど。

っておぃ逆説的だな:p。他人のモチベーションをあげる方法はまたいつか考えよう…。
# それは永遠の課題と思っている。もちろんもっとも有効な手段は「したいようにさせる」ことなんだけどね。

人は自分が意義を理解していないことをやれと言われるとモチベーションを下げます。「やることになっているから」で納得しちゃう人もいますが(思考停止と言います:p)、それだと積極的にやろうという気になる理由がないので、一定以上の成果にはなり得ません。
その人がもっとも価値を感じていることを尊重しつつも、自分のして欲しいことの価値を理解してもらうことに集中せねばですねぇ。してもらうことに集中するのではなく、ね。

「人に優しく自分に厳しく」の言い換えでしかないんだけど、要するにそういうことっす。この日記に書いてることのほとんどは突き詰めていくとこれだしねん。
先日の日記にあるとおり「"自分の権利と相手の義務"より"相手の権利と自分の義務"を意識しよう」ってのもあるね。

「問題解決力」を高める思考スキル(1)
(現在第5回まであります。http://jibun.atmarkit.co.jp/lskill01/index.html から辿れます。)

これは非常によさげな連載。おいらがここで言わんとしていること(※)をちゃんと裏づけ/説得力ある形で^^;語ってくれています。

※これから言おうとしていたこともあるのでネタ損もあるけど-_-。もちろん考えてもいなかったような視点もあった。

はたから見ていて目的を見誤っている/見えていないことは本当に多い。自分も与太に流れて議論/思考を発散させることはよくあるけど、おおもとの目的は忘れないように気をつけてはいるつもり。でもちゃんと読んでもっかい頭にたたき込みなおすのに最適な記事でした。
特に「論理展開」については自分が全く下手くそと思っているところなのでよーく勉強しておかねば^^;;。
# …ってか、やっぱり本読まなきゃなぁ…と思うよ…-_-。

IT関係の記事ということになっているけど他業種はおろか日常生活でも役に立ちます。
是非みんなが意識して欲しい内容〜。

ところで第3回にある「論理展開における6つの“落とし穴”」ですが、これはまさしく詭弁というやつですな。詭弁は大抵確信犯なので厄介ですが、自分も含めて大抵の人間は自分の考えにバイアスを置いてしまう物なので気付かないうちに詭弁をふるっていたりするのね-_-。気をつけましょう〜。
ついでに、前においらが感心したリストをリンク。オリジナルは 2ch のコピペで誰が書いたかも不明ですが。いつの間にか項目が増殖してるや^^;;。笑える上に感心できるのではないかと。

PukiWiki - 詭弁の見抜き方

「しょうがない」ことは一杯ある。数ある個性の中でも良い面と悪い面が同時に発生し、悪い面を改善しようとすると良い面も消失する類いのものとか。たとえば「鈍感/おおらか」とその反対の「神経質/繊細」、同じことなのに良い側面から見た言い方と悪い側面から見た言い方があることはたくさんある。この場合、もちろん良い面を伸ばそうとした結果、悪い面も同時に目立ってくるといったことになりますね。

で、そうして出てきた悪い面は「しょうがない」んだけど、人に対するいいわけに使っちゃいけないと思うわけです。人のことは「しょうがない」と思ってあげないとだけどさ。

で、自分でも他人でも「しょうがない」ことはしょうがないんだけど、だから改善について考えないという態度じゃなくて、まず自覚して、それが悪い面で出てきた時に悪い面が出ていることを意識するようにしたいな、と。

やらなければならないこと…家事とか諸々手続きとか^^;;。世の中の旦那はその辺を嫁に押しつけていることが多いので、多くの嫁さんの不満は「やりたいことができない、時間がない」ということになります。そりゃぁたしかに一生の半分を家事と育児に費やした嫁さんは、いくら忙しくても、

>振り返ればなんて幸せな人生だ、ときっと思うだろうなぁ。

となるかどうかは微妙ですね…。主婦業が好きという女性も割といるとはいえ。
自分は結婚前には「お互い働くなら家事半々、専業なら任せる」といった認識だった気がするけれど、お互い働いている現在半々できているとは思えないし-_-。
# まぁ稼ぎ額の差を鑑みて、半々まではしなくても許してもらえそうだけど^^;。ただそれは「人生の充実」という観点からは無関係な話。

この問題は複雑でまだあんまり考えてないので保留^^;。とりあえずはこのあたり、自分の「幸せ」はなんなのか?の見極めにかかっているような気がする。ただ、その見極めは結婚前にしなければならないんだろうなぁ。結婚は相当な覚悟をもって挑まないといけないってことですねぇ^^;。

それはそうとして^^;、「なんで私が」「なんでこんなこと」と思ったが最後、その機会が来るたびにそれは積み重なるストレスとなるわけで、「ストレスは自分が作り出す」ってなもんで、自分次第でストレスじゃなくすることができるはずなんだな。

不満を感じやすい/感情の起伏が激しい人ほどストレスを感じやすい。もったいないなとよく思う。けれど自分のように何事にも動じなくなっちゃっても感動を感じにくくてもったいない事がある。というか、些細なことに感動できる人は可愛くて羨ましいね。両立できそうでなかなかできる人はいないみたい。

おっとまた話がそれた^^;。まぁここは私のような冷徹君の書いている日記なので、「不満」を「疑問」に集約できるようになれば、そして「やらなければならない面倒ごと」の存在意義をなんとかして受け入れようとする考え方一つでストレスにはならない、という話でした。おそまつ〜_o_。

Time is...

昨日(ってもついさっき^^;)のネタをひねりだしたのはこの記事を読む直前だった^^;;。
で、さすがろじぱらというか、若いのに文章うまいよなぁ。

やりたいことが多い人もいれば、いろいろ口を出してしまっていろんな責任をかぶってしまったせいで手が回らなくなっている人もいる。自分からやるとは言っていないのに人から責任を押しつけられちゃう人もいるか。

この手の人はずっとやりたい/やらなければならないことが尽きない。で、命尽きる時にはやり残したことがいっぱいあるなぁ、って人だけど、振り返ればなんて幸せな人生だ、ときっと思うだろうなぁ。

時間が余っていると感じている人はどうだろう?死の間際にどれくらいの出来事が思い出されるんだろう…。

人に見せることをためらわないように。

女性が話をする時は共感を求め、提案は欲しない事が多いという。
おいらが今までここに書いてきた「目的は事態の改善である」とか「自業自得」とかのポリシーは比較的男性一般には多い考え方と思っているけど、女性に対しては通用しないケース(その考えかたで対峙すると逆に話がこじれるとか)がままあるということ。

で、よくいろんなところに書かれている「女性に対しては提案はしないで話を聞くことに徹するほうがよい」みたいなのは、おいらにはちと受け入れがたい。異論があるのにうんうん言えないし、解決手段があるのに言わない、ただ話を聞くという時間を共有するだけだと、なんか自分の成長が阻害された気になるらしい。いや、表面上聞くだけにして、自分の中でいろいろ考えるにとどめればいいんだろうけど、それだと当人が成長しなくて、いつまでたっても同じ内容を聞かされることになるってあたりがね。

ある女性の話では、女性は話をしているうちに自分の中で解決策を見つけだすことができる(※)そうで、そもそも議論がしたい訳ではないそうです。男性でも、人に悩み(問題点)を説明しようと試みることで解決方法がひらめくことはよくあります。そういう場合は提案できなくても話は聞いてくれるという人で充分で、私はよく「聞き人形を利用する」みたいに言ったりします(私の場合はこれは愚痴の話じゃなくて業務上の問題解決の話なんですが^^;)。

※具体的な解決策に限らず、「話を聞いてもらった」ことで「すっきりした」ということ自体が解決だったりすることも。まぁ愚痴ってそういうもんだろうけど…。

で、聞き人形でも問題が解決するならいいんだけど、上の※に書いたようにただ「すっきりした」ことだけが解決だと、根本的には何も解決していないので同じことが繰り返されるのよね。それがちと辛い、と。愚痴を聞くこと自体は「人間」に興味を持っている自分としては割と好きなんだけどねぇ。

提案を実践できずに同じ愚痴を聞かされることも全然どうってことはないんだけど、提案/指摘すること自体を嫌といわれるのはどうもね…。

さて、女性はこの考え方、どう思われるでしょう?まぁ普通にしっかりした方であれば、「提案/指摘すること自体を嫌」とはならないと思ってるんですけどね…一応。

でもまぁ、「聞き人形」の効能も解っているし、割とキャッチーかなと思ったので、タイトルはこうしてみた^^;;;。

# おぉっ今日は元旦ではないか…。おいら的にはあんまり普段と変わんないんだけど。

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