thought: 2004年8月アーカイブ

週刊!木村剛: システム開発者はシステムを信用しない

最初、自分の作ったシステムの完全性を過信しないという意味かと思いきや、他人に使わせて自分では使わない、というお話でした-_-。
まぁ、設計にかかわっていない人とか、今回の例のようにセキュリティ上の問題を知っていても上層部の圧力で対策できなかったような場合はそりゃ使いたくはないですが…。

自分で作った物は誰の手によるものより自分にとって便利にしたい。必ず残っているであろう問題を改善するために積極的に人柱になりたい。

と思える仕事をしたいものですねぇ。
そうすると大規模なのはやりたくなくなるわけですが^^;。
技術者はそれでも一応プロで、(プロと言える人なら)顧客の要求した仕様は何とか満たして納品するわけです。その要求が自分にとって使ってみたいと思えないものであっても。提案可能な立場と提案してはいけない立場がありますが、いずれもプロには違いないのです。

理想論が嫌われることがよくあります。

「現実を見ろよ」「そんなこと語ってるだけじゃ何も改善しないよ」

理想論は理想的な解決であり、その実現には巨大な壁が多数あり、実現は不可能と思えるものを主に指します。

しかし、理想論抜きに現実を見ることに注力していれば良くなるかというとそんなことはまったくなく、継ぎ接ぎの山が出来上がるばかりです。そういうのは対処療法とよばれます。

対処療法も重要です。できることからやるしか無いのです。

しかし、理想論として切り捨てられる論点は、最終的な解決を見るまで忘れてはならないものだと思います。

理想論とは何が根本的な問題かを見極め、本来ならばそれを解決すればもっともスムーズにことが運ぶというものです。

これをまったく考えないと、対処療法は近い将来より大きな問題を招くだけの手段と化します。「年金」とか「年金」とか「年金」とか。

理想論は、それだけを見ていると前に進めなくなる材料でもありますが、それを踏まえた対応をしていかないと目先の問題しか見えなくなったり、手段が目的化しやすくなります。

あぁ、例はいくらでもあるけど思いついたのが年金だっただけよ、念のため:p。

まぁたとえば、「言論の自由のために匿名性が必要であるという議論の空しさ」等は典型的な理想論。
無理な前提の上では問題がなくなると言っているわけだけれど、この根本的な問題を忘れて「匿名は必須」という正当と言い切れない前提を置く人がたまにいるわけ。
そりゃ匿名は現実的には必要だけど、それは譲歩でしか無いと思うわけですね。

一人殺せば 殺人犯
世界中の半分を殺せば 英雄
人間を全部殺せば 神である

岩明均さんのヘウレーカという漫画での一節。深い…。


ヘウレーカ
岩明 均

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プロパガンダとは
の関連です。書き始めた時期の関係で例えが古かったりしますがそのまま行きます。
ここでは社会的な「陰謀」、より正確には「陰謀論」をテーマにしています。陰謀をめぐらす人は多数いますが、そういう話ではありません。

(一見納得できてしまう主張も含めて)過大な陰謀論を展開する方は結構いらっしゃいます。たとえば、イラク人質事件に関して、プロ市民による自作自演だ、とか、国が国民に自衛隊派遣を肯定せざるを得ないよう世論誘導するために仕組まれた事件、とか、様々な事件が小泉さん支持に働くのは実は仕組まれた展開、とか。

大半は単に極論を言って目立ってみたいとする"ネタ"だろうと思うわけですが、作為的でなく、いつの間にか陰謀論に自分が虜になってしまう、陰謀でしかないと思い込んでしまう方もいたりします。

あくまで私個人の見解ですが、タイトルのとおり、世の中には真の陰謀なんてないと思っています。まぁ正確には「陰謀を成功させるほどの超天才はそうはいない」「世の中の事件が作為的に起こされることはほとんどありえない」「陰謀論者の唱えるような陰謀が真実であることはほとんどない」といったところですが。タイトルはある種の人を煽っているかもしれませんが^^;、今の所間違いとも思っていないです。社会の動きはカオスであって特定の人の意識どおりに動くことなんてありえないのですから。

ただ、社会は流されやすい物でもあるので、些細なきっかけから大きく傾いたりもします。陰謀を仕掛ける人はその些細なきっかけを仕込むわけです。しかしそれでも、その人の思惑通りに社会が動くことは稀であり、陰謀が成立するのは結果論でしかない、と言えるのではないかと思います。どんな結果であっても、それによって得した人を探しては、「その人による陰謀だ」と叫ぶ人がいたりしますねぇ。

陰謀というのは「不当な利益詐取」であると思います。たまたま得しただけで陰謀呼ばわりされてはたまりません。この場合、よく起こるのは不当な手段を使った人ではなく、その結果たまたまその不当な手段を使った人と同時に利益を得てしまった人が陰謀論の標的にされることです。それが浅はかであればあるほどに。対立関係にある人を陥れるために陰謀論を誘発させるという作戦まで行使されるのでたまらんですねぇ。(対立相手に不当な手段で利益を出させる。それにより陰謀論が勃発して対立相手が糾弾され、結果として不当な手段を使った輩の利益となる)

推測は楽しいものですが、真剣に話を前に進めたいのであれば、意図を勝手に推測する前に事実を受け入れる所から行きたいものです。

参考:muse-A-muse: 陰謀論との付き合い方   ヤサシイ(?)サヨクのための杞憂曲
なんか、私なんかが書いたのより分かりやすいわけですが^^;;。

自分の傾向と異なる未知の価値基準を知るため性格診断関係情報を使おう

自分が重視しないこんなことを重視する人がいるのだ、ということを知ることができる。
「自分」や「自分と相手」の性格を診断するのではなく、ね。
診断結果はある価値基準の傾向であって、ある「人」を表すものではないのだから。

だから、特定の診断結果より、全てのパターンを見るほうが有意義。


参考:こんなのとか?見てないけど^^;。
http://www32.ocn.ne.jp/~emina/

前の記事中に書いていたのですがテーマが外れすぎるので別記事に。ですので、前の記事から続けて読んでいただくほうが若干繋がります_o_。

「けまらしい」という新語に関する話題があります。
はてなダイアリー - ARTIFACT@ハテナ系

「あの人たちが仲良くするせいで私が不快になる」っていう気持ちを表現する新しい言葉を作ったらどうか。たとえば、「けまらしい」と言うことにしよう。

これはこれで興味深い(というか、おもろい)と思いつつ見ていたんですが、週刊!木村剛に関するコミュニティに対していかにもけまらしいっぽい反応をされる方もたまにいらっしゃいますね。私は前の記事の余談に書いたとおり、以前はラジオに対してこれに近い感覚だったといえますが、「けまらしい=不快」まではいかず、「けまらしさを感じる雰囲気にたいして無関心或いは面白さを感じなかった」わけです。けまらしいと思う方はそういう系のラジオ番組はやっぱり聞かないのかな?

さて、「けまらしさ」の正体に付いて思うところを。

「けまらしさ」って典型的には、馴れ合いをかっこ悪いと感じている人が馴れ合っている人々に対して感じるものですかね。ただ、もしそうだとすると、それは単に自分がそこに参加しなければいいだけで不快を感じる必要は無いわけです。
もう一つけまらしさを感じていそうなパターンがあって、「ぱど厨」の話題の中にあった「友達取るな」感覚です。
参考:読冊日記 2004年 6月中旬
(小学生程度の)女の子コミュニティなどではわりと当たり前にあるものだそうですが、大人であっても、自分が注目している人が、自分ではない(特に自分がたいしたことないと思っているような)この人たちと仲よくしている様というのは、「なぜ自分がその場にお呼びがかからなかったんだ?」感を持つ、ということがいかにもありそうです。こんな言い方にしてはみましたが、私だって当然あるでしょう。でも私はそれで自己嫌悪になることはあったとしても対象に対して不快は感じないですけど。
これにぴったり当てはまっていなくても、自分が尊敬する人が、他の名の知られていない方と仲よくしていた場合、その尊敬する人に対して自分勝手に汚名を着せたりしているのかもしれません。そうでなければ通常そのことについて言及する必要が無いですから。
まぁ、「馴れ合ってる暇があったらもっと他のことやれよ」といった意見が常に自分勝手な意見とは限りませんが。特に分かる人には分かる馴れ合いの果てのグダグダ状態とかを見ると、あぁまたこのパターンか、みたいな感じですか^^;。

まぁ、そんなわけで、「けまらしさ」って個人的にはやっぱり「卑屈」が現れているかな、と思います。自分が絶対そんなこと感じないなどとは言いません。「けまらしさ」を感じない/表出させないように注意していきたい、とは思いますが。

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