人類が持つ感情システムは、生存競争に勝ち残るために有効に作用していたと思われます。つまり「感情が発露しない」というのは脆弱な状態だと言えると思います。
これを読んで、思いつきで。 生存競争に勝ち残るために感情システムが最善であったかが疑問です。今現在の人類が持つ感情システムが有効に働いていることは正ですけれど。 合理的思考能力が発達していれば感情が限りなくなくても生き抜けるであろうと思います。例えば群れを作る昆虫などは一種の感情で行動しているとも言えるかもしれません。一番想像しやすいのは「恐怖」という感情。これは、生き抜くために合理的な行動を取らないと「怖い」からそういう行動を取っているのであって、それが合理的と適切に判断できる思考能力がもしあった場合は、「恐怖」は不要と言えるかもしれない、と。生物が完成されていないがゆえに、「不毛な恐怖」も存在して、恐怖のせいで非合理的な行動を起こしてしまうこともあり、実際そういう行動を取るものが淘汰されていくということもあった/あると思います。
上記の「恐怖」は人間の感情における恐怖とは異なり、「本能による支配」に当たります。人間は「本能」が退化してその分(本能が wrap された)感情と知恵で生き延びてきました。
感情による「卑しさ」がなければ闘争は起こらないかもしれませんが、競争も起こらない。そうすると、種の進化が止まってしまい生き残れないかもしれません。
しかし、ずっと未来には、知恵だけで生き延びていく世代が現れないとも限りません。合理的に競争を行う種。
「合理的」というのは便利な言葉で、ある意味うまくいくことが全て「合理的」ともいえてしまうものですが、実際その通りで、感情優先の人とうまくやっていくテクニックを使うことも「合理的」と呼べます。モヒカン族の「合理的」がそこまで達しているかは微妙です。
本能に基づく合理的行動→感情に基づく合理的行動→知恵に基づく合理的行動
「感情」は進化でもあり退化でもありますが、「知恵」はどうなるでしょうねぇ。
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ところで、モヒカン族がらみの言及ついでですが、誤解されている方がいそうな気がするので書くと、そもそもモチベーションを最重要視する所からも解るように、モヒカン族も根っこは感情で動きます。現在の人間からはまだ感情は排除されえません。ただ、モヒカン族の感情は、物を作る等の手を動かすことに関して重要視され、情報伝達や判断においては(建前としては)重要視されません。情報に感情を含めることを避けようとするあまり、ぶっきらぼうに見えたりいやらしく見えたりしますが。
